2012年1月29日 (日)

一方的な憐れみによる選び

こんにちはhappy01shine

今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう。

今日の聖書箇所は前回の分の箇所も含めて、ローマの信徒への手紙914-16節です。

 

9:14 では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。

9:15 神はモーセに、/「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、/慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。

9:16 従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。

 

 

パウロはこの14節で「では、どういうことになるのか」と質問をしています。

こういう質問をされると、「何が?」って答えたくなりますよね。

聖書を読んでいると、特にパウロ書簡を読んでいると、突然質問されたりすることがあります。

そういう時は前後関係を見る、つまりその文脈から判断することでわかってくるのです。

 

ではこの質問って何でしょう?

この質問の次に「神に不義があるのか?」ってパウロは聞いていますよね。

またまた新たな質問が出て来たのですが、この質問は前回までの学び、つまり13節までの箇所を踏まえて、読者がおそらくこういう質問をしてくるだろうと予想して、それに対して答えているのです。

 

 パウロは13節までのところでアブラハムの祝福の後継者の選びについて語りました。

アブラハムの後継者候補として長男のイシュマエル、そして次男のヤコブ、しかしこの2人腹違いの兄弟であり、長男はアブラハムがエジプトの奴隷女と結ばれて出来た子供、そして次男のヤコブは正妻のサラと結ばれた出来た子供です。

神様は正妻の子であるヤコブを選ばれました。

 

パウロはアブラハムの祝福の継承者選びについて書いた後、おそらく読者の中に、イシュマエルもヤコブも同じアブラハムの子であり、本人には何の問題もないはず。

それなのに正妻であるという理由でヤコブを選んだ。

神様もそうやって人を見るのだという思いを持った人がいるだろうと予想して、次に息子イサクの息子からの継承者選びについてを書いたのです。

 

 

イサクの息子はエサウとヤコブ。双子です。

こうなると立場だとか血筋だとか、そういうことは関係なくなります。

2人とも同じ親から生まれた子で、血筋も全く同じ、条件も同じです。

先に妻リベカから出て来たのがエサウだったのでエサウが長男となりました。

 

 普通の常識で考えれば、エサウが継承者となる筈です。そうですよね、長男ですから。

日本でも戦後、余り言われなくなりましたが、一昔前までは長男が後を継ぐのが常識でした。

今でもそういう家庭はあると思います。しかしこの時代の長男の特権はそれ以上のことでした。

 

しかし神様は長男エサウを退け、次男ヤコブをアブラハムの祝福の継承者として選んだのです。

 

そして14節の質問に繋がってくるのです。

パウロは「では、どういうことになるのか。神に不義があるのか?」と質問しています。

 

パウロはこの時点で、おそらく読者の中にエサウが可哀想だという思いを持った人が、あるいはイシュマエルが可哀想だと思った人がいるだろうと予想していました。

そういう人にとっては、神様は愛がない、なんて自己中心だって思われたのかもしれませんね。

だからパウロはその予想を見越して「神に不義があるのか?」と問いかけたのです。

 

パウロは「神に不義があるのか」という質問に対して、「決してそうではない」と答えています。

この新共同訳聖書の訳、これでは弱すぎます。

こんな生ぬるい表現ではありません。

新改訳聖書はここを「絶対にそんなことはありません」と語っています。

これも敬語を使っているのでパウロのこのときの状態が表現しきれていませんが、こちらの方が近いと思います。

ここは敬語を使うべきではありません。

 

この「決してそうではない」「絶対にそんなことはありません」という言葉、原語であるギリシャ語では「メイ・ゲノイト」という言葉で、これは最上級の否定語、ギリシャ語で一番強い否定形を使うときの言葉なのです。

ですから、ここはおそらく「絶対にそうではない!!!」と声を振るわせ荒げながら言っているのでしょう。

パウロはそれ程に熱を込めてこのことを否定したのです。

 

どうしてでしょうか?

それはパウロにとって絶対に譲れないところ、妥協出来ないところだったからです。

つまり神様については決して妥協出来ない、歪めたりすることが出来ないというパウロの信仰から出てきているのです。

私たちもまた同じです。聖書に書かれていること、神様について、神様が悲しまれることについては絶対に妥協しないことが大切です。

 

パウロがこれ程に激しながら否定した理由、それが15節以降の内容です。

神はモーセに、「わたしは自分が憐れもうと思うものを憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。

従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。

ロマ9:15-16

 

 パウロは神様がモーセに語られたことが書かれている旧約聖書の箇所である出エジプト記33章19節をもってその理由を語っています。


主は言われた。

「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」

 

「わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」

この箇所は神様がモーセにこう語られた時、どういう状況だったのかがわからないと理解することは非常に難しいと思います。

 

この神様の発言は、モーセがとんでもないことを願ったことに対する神様の回答なのです。

なんとモーセはその時「どうか、あなたの栄光をお示し下さい」(出エジ33:18)と神様にお願いしたのです。

つまり、「神様の栄光を見せてください」ってお願いしたのです。

それは私たちが「主よ、栄光を拝させてください」と祈ることと全く次元が違うことで、モーセがこの時神様にお願いしたのは、神様ご自身を見たいということと同じ事だったのです。

 

神様を見るということは、死ぬことと同じです。

私たち人間が神様の栄光を見ることは出来ません。

目に入った瞬間に死んでしまいます。

それ程に聖く威厳に満ちておられるお方だからです。

 

しかし神様はそのモーセの願いに対して「わたしは、恵もうと思う者を恵み、憐れもうと思う者を憐れむ」とおっしゃいました。

つまり、「モーセ、わたしはお前を恵み、お前を憐れむよ。わたしの権威によってそれをするのだ」と語られ、神様の栄光を見ないようにモーセをご自身の御手で岩の裂け目に入れ、主が通り過ぎるまでご自身の御手で覆い、通り過ぎた後で御手をモーセから離し、その後ろ姿、つまり残映だけを見せたのです。

こうやって神様の主権により、モーセの願いに応えられたのです。

 

ローマ9章16節でパウロはこう語っています。

従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるのです。

 

全ては神様の憐れみによるのです。

とんでもないことを要求したモーセに対して、愛を持ってその願いに応えられたのも、神様の一方的な憐れみによってです。

イサクが選ばれたのも、ヤコブが選ばれたのもそうです。

神様の主権によるのであり、ご自身の御心のままにそうされたのです。

人間はその神様の主権に対して口を挟む余地はないのです。

 

私たちクリスチャンも同じです。

モーセの要求に対して愛を持って、ご自身の御手で岩の裂け目に隠されてシャカイナグローリー、主の栄光の残映だけを見せられた神様は、私たちに対しても最大級の愛を持って答えて下さっています。

私たちはそれ程に愛されているのです。

 

今、辛い状況の中におられるかもしれません。

また、悲しみの中にあるのかもしれません。

逆に喜びの中にあるのかもしれませんね。

私たちはその状況に対して批判したり、嘆いたりするのではなく、その状況の中で主を礼拝することです。

主はご自身の主権により、私たちを憐れみ、私たちを愛し、そこがたとえ苦しみの只中であったとしても、その状況の中でご自身の平和で満たし、愛で満たしてくださるからです。

 

私たちは二つの選択があると思います。

一つは状況を妬み恨むこと、もう一つはその状況の中で主を呼び求め、主を礼拝することです。

そして後は主の主権、主の導きにお任せするのです。

そこがたとえ荒野であっても、その荒野の状況の中にあって、そこが緑豊かな牧場へと変わります。

 

主の豊かな慰めと恵みがありますように・・・

 

祝福を祈ります、キリストの愛を込めて。。。clover

 

 でわでわ~paper

 

 

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2012年1月21日 (土)

神様の選びの確かさ

こんにちは~happy01

   
今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょうheart04

   
今日の聖書箇所は前回の分の箇所も含めて、ローマの信徒への手紙910-13節ですshine

 

 

9:10 それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。

9:11 -12その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。
  

 9:13 「わたしはヤコブを愛し、/エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。

 

 

今、私たちは神様が人を選ぶとき、どのような方法で選ばれるのかをみことばを通してご一緒に学んでいます。

アダムが罪を犯して以来、人類は罪の中に入れられ、罪の奴隷状態になっています。

人は産まれながら、先祖代々罪を受け継ぎ、罪人としてこの地に誕生し、成長と共にその罪を表現するようになり、大人になります。

これが人間の姿です。そしてその最後は裁きと滅びです。

 

神様は滅ぶしか無い私たち人間を尚も愛され、救済計画を立てられました。

その人間の救済の方法としてアブラハムという一人の人間を選ばれました。

しかしアブラハムが立派だとか、特別な賜物があるとか、リーダーシップに長けているとか、カリスマ的であるとか、決してそういうことではありません。

彼はごく普通の人であり、二度にわたって外国の王様に殺されることを恐れて自分の妻にアブラハムのことを兄だと言わせ、神様よりも人の目を気にし、弱さを抱えていました。

 

これは私たち自身の姿でもあると思います。

神様はそんなアブラハムを人類救済計画のために選び出し、アブラハムを通して祝福をもたらすと契約を結ばれたのです。

 

そして神様はその祝福の継承者として、アブラハムの二人の息子である長男のエサウと次男のイサクから一人をお選びになりました。

イシュマエルとイサク、確かに同じアブラハムの息子ですが、母親が違いました。イシュマエルはエジプト人の奴隷女ハガルとアブラハムが関係を結び、産まれた息子で、最初に産まれた子供です。

そして弟イサクは正妻であるサラとアブラハムが関係を結び、産まれた子供です。

神様はこの二人の内、正妻サラから産まれたイサクを祝福の継承者として選ばれました。それもまた、神様の主権でのことです。

 

さて、ここで一つの疑問が沸きます。

それはイシュマエルには何の罪はありません。

正妻の子どもであるかどうかは本人とは全く関係がありませんし、もともとサラがアブラハムにハガルを通して子供を得るようにとハガルと関係を結ばせたのです。

でも神様の選びは正妻であるサラでした。何か不公平な気持ちを持たれるかもしれません。

 

そこで今日学ぶ箇所に入るのですが、この継承者イサクの次の継承者は双子からの選びとなります。

つまり同じ条件の下での神様の選びなのです。

 

それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。

その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。

それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。(ロマ9:10-12)

 

今度は条件が全く同じです。

イサクの妻リベカは不妊でした。

赤ちゃんに恵まれなかったので、イサクが妻のために祈ったのですが、主がその祈りを聞き入れられ、妻リベカは身ごもりました。

ところがリベカの体内で子供たちが押し合うので一体どうなるのだろうと恐れ、主の御心を尋ねたところ、主は彼女に言われました。

 

二つの国民があなたの胎内に宿っており、二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。

一つの民が他の民より強くなり、兄が弟に仕えるようになる。(創世記25:23)

 

神様は2人が産まれる前にリベカに、これから産まれてくる赤ちゃんは双子だと言うこと、そして「兄が弟に仕える」、つまり人類救済計画の継承者は弟だと宣言されたのです。

 

神様は血筋だとか家柄で継承者を選びませんでした。

また人格でも選びません。

なぜなら、弟として産まれてきたヤコブもまた問題を持ち、弱さを抱えて成長した人物だからです。

つまり、神様は産まれる前から人を選ばれているのです。

どうやってか、神様の主権によってです。

 

パウロはそのことをマラキ書1章2-3節のみことばをもって裏付けました。


「わたしはヤコブを愛し、/エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。(ロマ9:13)

 

このみことば、とても難解な箇所です。

この箇所を素直に読むと、「神様はヤコブは愛されたけど、エサウは憎んだのだ」と読めますよね。

神様は私たちに憎むって言われているのに、ご自身はエサウを憎むっておかしいって。。。。

 

でもこれは私たち日本人が今の時代の文化のフィルターを通して読むからわからくなってしまうのです。

これは当時のヘブライ人特有の言い回しで、「憎む」とか感情で「もうこんな人大嫌い!」という意味ではなく、理性的な意味なのです。

つまり、ここでいう「憎む」とは恨みとかそういう感情的な怒り的要素の意味ではなく、神様の選びから外れたという意味なのです。パウロはそれをマラキ書のみことばを持って裏付けたのです。

 

神様はご自身の主権を持って2人が産まれる前から弟イサクを祝福の継承者として選ばれました。

私たちも同じです。神様は私たちが産まれる前から、ご自身の主権を持って私たちを選ばれたのです。

だから今クリスチャンとして生かされているのです。

 

神様の選びは確かであり、私たちは産まれる遙か前から神様に知られています。

エレミヤ書1章5節にこうあります。


わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。(エレミヤ1:5a)


これはエレミヤの預言者としての選びなのですが、私たちも同じです。私たちが救われたのは偶然ではありません。

神様が母親の胎内に宿る前から私たちのことを知っておられ、特別な計画を立てておられ、その通りに今あるのです。

ですから、私たちはそのことを覚え、主の御計画の確かさに身を委ね、信頼して歩むことです。

そして救われたこと、選ばれている恵みを感謝し、この1年、主に依り頼みながら歩むお互いでありましょう。

祝福を祈ります。

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~confidentpaper

 

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2012年1月14日 (土)

アブラハムの継承者

新年明けましておめでとうございます 
      
2012年がスタートして約2週間が過ぎました。

 
    
今年も聖書のみことばにこだわり、聖霊に依り頼み、みことばの真理を通してご一緒に成長されていけばと願っています。

今年もどうぞ宜しくお願いします。

 
  
  
   
   
   
      
では早速、スィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう。
   
  
   
今日の聖書箇所は前回の分の箇所も含めて、ローマの信徒への手紙9章7-9節です。
  

    
  
   
    
   
   
   
 

9:7 また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない。かえって、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる。」
 
9:8 すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。
 
   
9:9 約束の言葉は、「来年の今ごろに、わたしは来る。そして、サラには男の子が生まれる」というものでした。

  
   
   
 
前回、神様の選びの御計画についてご一緒に学びました。
それはアブラハムの子孫=神様の選びではないということです。
9章7-8節にはこうあります。

9:7 また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない。かえって、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる。」

   
   
9:8 すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。

   
  
   
     

「アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供とはならない」とパウロは言いました。
   
これはどういう意味でしょう?

     
   
      
アブラハムの子孫ということはアブラハムの子供です。血縁関係が無かったら子孫とはいいません。

   
でもパウロはアブラハムの子孫だからといっても皆がその子孫ではないと言っています。

        
この「子供」というのは、神様が人類を救い出し、再びあのエデンの園の時代、創世記1章の時代へと回復するための人類救済計画のために選ばれた者のことなのです。



     
つまり、神様はまずそのためにアブラハムを選ばれました。

          
そして神様はアブラハムに「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。・・・あなたの子孫はこのようになる。」(創世記15:5)と言われたのです。



  
   
   
また、同じく創世記12章2-3節にこう書かれています。

   
わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。

   
   
あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族のすべて、あなたによって祝福に入る。


   
   
     

神様はアブラハムを選び、アブラハムから祝福をもたらすと約束されたのです。

          
しかしアブラハム自身が立派だからとか、特別だからではありません。

   
アブラハムは2回に渡って自分の妻を妹と偽りました。

   
彼もまた私たちと同じ罪有る存在です。

   
  
ですから、神様がアブラハムを選んだのは神様の一方的な憐れみであり、神様の主権により一方的にアブラハムを選んだのです。そう、一方的な選びです。



   
   
    
ではこのアブラハムの祝福の継承者はだれかという問題が出て来ます。

        
それがローマ9章9節でパウロが言っている「子供」なのです。

  
   
     
ではこの「子供」、つまりアブラハムの継承者とは誰でしょうか?



   
パウロは創世記21章12節のみことばをもって、そのことについて語っています。
  
   
   
創世記21章12節

神はアブラハムに言われた。

  
「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。

あなたの子孫はイサクによって伝えられる。」

  
   

ここで神様がアブラハムに語られている「あの子供」って誰のことでしょう?

   
それはエジプト人の女奴隷ハガルとアブラハムとの間で産まれたイシュマエルのことです。

    
もしかしたら「サラという妻がいながら、外国人の女奴隷と・・・ なんとふしだらな・・・」と思われるかもしれません。



   
しかし、これは時代や文化が違い、当時は子供が生まれない場合、奴隷などを通して子供を産ませ、それを自分たちの子供であり跡継ぎとして育てたので、問題はありません。

   
聖書を読む時、その時代背景を意識して読むことはとても大事なことです。



   
   
    
さて、神様はアブラハムに、ハガルと自分の息子イシュマエルのことで苦しまなくていいとおっしゃいました。

   
イシュマエルが腹違いの弟イサクにちょっかいを出していることが気に入らず、イシュマエルもその母親であるハガルも追い出して欲しいとアブラハム訴えました。

   
だから2人の父親であるアブラハムは困り果てていたのです。

    
そんなアブラハムに神様は「イシュマエルのことはわたしに任せなさい。今はサラの言うことを聞きなさい」とおっしゃったのです。




  
  
    
12節の後半をご覧下さい、「あなたの子孫はイサクによって伝えられる。

       
「アブラハムの子孫」、つまり神様の人類救済計画の継承者はイシュマエルではなくイサクだとここで宣言されたのです。

     
アブラハムの後継者は一人だけであり、神様の主権により選ばれたのです。



  
  
   
ローマ9章9節をご覧下さい。

☆★☆★☆★☆★☆

約束の言葉は、「来年の今ごろに、わたしは来る。そしてサラには男の子が生まれる」というものでした。

☆★☆★☆★☆★☆

これは創世記18章10節からの引用です。

このようにサラによって産まれたイサクが継承者として選ばれました。

ここで一つの疑問が出て来ます。

イサクはアブラハムの正妻の子、イシュマエルは奴隷の女に産ませた子、いくら長男とはいえ、神様は奴隷の女から産まれた子は選ばれず、正妻からの子の方を選ぶのだ、イシュマエルは弟をからかっただけなのに。。。 何か不公平な気がする、という疑問です。

その疑問が出ることを察知してパウロは10節以降で、イサクの二人の兄弟のことから、神様の選びについて解き明かしています。それは来週お話します。

神様の選びは不思議です。私たち人間の小さな頭では理解しきれません。

しかしそれと同時に言えること、それは神様の選びは確かであり、決して間違いはないということです。

私たちがイエス様と出会い、十字架と復活の福音を受け入れクリスチャンとなったこと、そして今生かされていること、それも神様の選びの結果です。私たちは救われるべく選ばれた存在なのです。

今、苦しい中におられる方もおられるかもしれません。

目の前は荒野のような状態の方もおられるでしょう。

しかし目の前の現象を見つめることを止め、この神様だけを見つめることです。

なぜなら神様は私たちを選ばれたのだからです。状況はなかなか変化しないかもしれません。

しかしその荒野のど真ん中で主は私たちを祝福され、平安を与えてくださいます。

問題は現状を見るか、神様に依り頼むか、そのどちらかです。あなたはどちらを選びますか?

2012年、イエス様だけを見つめる年でありますように。


祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。heart02

ではではconfidentpaper

         
   
   

 

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2011年12月30日 (金)

スィーツバイブル 一年の終りに

大切なお知らせ。

 

尊き主の御名を賛美致します。

   
いつもスィーツバイブルをお読みくださり、有難うございます。
   
心から感謝しております。

   
   
   
2011年、今年一年も主の恵みの内に聖書のみことばを分かち合うことが出来、心から感謝しております。
   
今年は本当に激動の年だと思います。
    
何よりも、あの3.11以来、ある意味日本が劇変したと言っても過言ではないと思います。
   
読者の方の中にも被害に遭われた方もおられることと思います。
   
主の慰めが豊かにありますように、一日も早い復興がなされるよう、心からお祈りしています。

   
   
   
今回の東日本大震災、そして原発事故、この被害は量りしれません。
   
今回の地震や原発事故を通して、人間の無力さ、自然の前には何も出来ないということを痛感させられます。
   
そしてその痛手を負った一年でした。

   
   
   
しかし、そういう中にあって私たちクリスチャンは感謝せずにおれません。
   
この暗闇の支配する時代のど真ん中に光なるイエス様がおられるからです。
   
   
   

ヨハネによる福音書1章5節にはこのように書かれています。
   
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(新改訳聖書より)
 
   
    

今年2011年は正に暗闇が猛威を振るった年です。
   
そして時代は暗闇の時代であります。
   
地震関係だけではありません。何と自殺者が多いことでしょう。この一年、何人もの人が自分で自分の命を絶っています。
   
虐待が酷く、毎日のように児童虐待のニュースが入ってきます。
   
夫婦間の虐待も相次ぎます。離婚も増加しています。
   
陰湿ないじめも酷いものです。
   
失業率は高く、経済も円高が酷く、政治も信頼出来ず、真冬の時代は続いています。
   
この間テレビを見ていたらワイドショーのコメンテーターの人が「なでしこジャパンの快挙が無かったら明るいニュースは無かったと思う」と言っていまいしたが、本当にそうだと思わされます。
   
   
   

世界に目をやると、中東ではいつ大戦争が勃発するかという状況です。
   
また、中国の問題もあります。北朝鮮の問題も深刻です。
   
経済は世界的に酷い状況にあります。
 
   
   

そういう暗闇の時代のど真ん中に光であられるイエス様がおられるのです。
   
私たちクリスチャンはこの暗闇の中にあって人々と一緒に暗闇の中に落ちていくのではなく、この暗闇のただ中でイエス様を喜び、内にいますイエス様の命の光を輝かして歩むべきです。
   
それは気合いとか頑張りとか、そういうものではありません。

   
   
 

私たちが無理に喜んだり、見せかけの笑顔を作るのではなく、イエス様に依り頼み、イエス様の中に安息するのです。
   
聖書のみことばを通して主との愛をはぐくみ、イエス様の中で憩い、安息し、イエス様をエンジョイすることです。
   
皆さんの中には荒野、絶壁、或いはダニエルたちが落とされた凶暴な獅子がいる洞穴や炎が燃えたぎっている洞穴の状況に置かれている方もおられるかもしれません。
   
でもその苦しい状況の中にあっても、私たちが主の中で憩い、主を楽しむ時、そこが緑の牧場に変わるのです。その状況のど真ん中で主は食事を整え提供してくださるのです。
 
   
   

「光はやみの中に輝いている。」
   
これはこの時代に生きるクリスチャンへの、そしてまだイエス様を知らない方々への大きな大きな希望のメッセージです。
   
来る主の年2012年、是非主の光を輝かせて歩む一年でありますように。
   
その時、その場が緑の牧場となります。
   
日本のリバイバル、それは私たちが主の中に安住し、主を味わい、主を喜び楽しむことからです。
   
来年もご一緒にスィーツな、甘美な聖書のみことばを味わい、主の命の交わりをしていきましょう!
   
来年も引き続き、スィーツバイブルをどうぞ宜しくお願い致します。

 

祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。heart02

ではではconfidentpaper

         
   
   

お知らせ:2011年のスィーツバイブルは今日が最後です。次回は来年1月14日よりスタートします。

 

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