新しくされた自分
こんにちは~![]()
今日は「新しくされた自分」というタイトルで、ご一緒に学ぶこととします。
さて、実は今学んでいるシリーズ「キリストにある自由を楽しもう!」ですが、この学びは、ニール・アンダーソンの『キリストにある自由をめざして』という本を参考とし、それに示されたことを分かち合わせて頂いています。
実はこの『キリストにある自由をめざして』ですが、とても残念なのですが、既に絶版となっていて、販売されていません。
もしかしたら、古本屋さんにあるかもしれませんね。
もしお持ちでしたら、じっくりと読んでみたらいいと思います。
さて、今回の学びですが、私たちの本当の自己というか自分は何かということにフォーカスを当てることとします。
コロサイ信徒への手紙3章10-11節にこのように書かれています。
(私たちは)古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。
そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。
キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。
コロサイ3:9b-11
※「(私たちは)」は、著者の追記です。
私たちは普通、自己紹介をするときって、仕事や学校など社会的な立場や自分はどういう人かということなどを話しますよね。
でもパウロは違います。
彼はこれら、社会的な立場だとか、自分が何人だとか、そういうことから一切解放されています。
パウロは言っています。
キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。
パウロは、イエス様と出会う前の律法主義やユダヤ人であることのプライドとか、そういうものは、もはや古い自分であり、それらは脱ぎ捨てたと言っています。
そして今、彼の内におられるキリストが全てだと、自分についてを言っているのです。
私たちはだれ?って聞かれたら、どう答えますか?
神の子供とされた者であり、私たちの内にキリストがおられ、同時にキリストの内にいる存在。
これがクリスチャンの実態なんです。
クリスチャンは罪の赦しを与えられ、政令を受け、新しい本姓を身につけ、天国に行く者とされてた者たちなのです。
ぼくたちはみんなそうなんです。
救われてからドレくらい経ったかとか、そういうことは一切関係ないですよ。
クリスチャンとは、キリストの者なんですからね。
第一ペテロ2章9-10節にこのように書かれています。
しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神の者となった民です。
それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。
あなたがたは、「かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は哀れみを受けている」のです。
これがクリスチャンです。
今これを読んでいるあなたもそうなんですよ。
ところが、そう言われてもピンと来ないという人もおられるかもしれませんね。
「知識ではわかった。
でも自分の姿とか、行動とかみると、とてもそうは言えないし、「そうだ!」って思えるときもあるけど、調子がわるい時とか、ピンと来ないし、感情がついていかない」
これ、感情に頼るからそうなっちゃうんです。
感情は信頼できませんよ。
人の感情は移ろいやすいのです。
感情を見るのではなく、たとえピンと来なくても、聖書にそう書いてあるからそうだって受け入れることです。
これはあなたが感じようが感じまいが、神様から見たあなたや私なんです。
第二コリント5章17節にこう書いてあります。
だから、キリストと結ばれている人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
私たちキリストと結ばれている者はだれでも、新しく創造された者たちなんです。
今までの古い自分は、キリストと共に十字架で死んだのです。
今、私たちは全く新しい人とされているのです。
この新しい自己を受け入れるとき、聖霊が私たちの内側を自由へと導いてくださいます。
感情を見ないで、霊的現実を受け入れることです。
単純に。
祝福を祈ります、キリストの愛を込めて。。。
ではでは![]()
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