2007年4月24日 (火)

父なる神様の非常手段、イエス様の十字架

こんにちは~(^o^)/

ご無沙汰しています。

気付いてみたら、前回書いた記事は12月。。。。

うぅぅぅぅん。。。。。。

申し訳ありませんでした<(_ _)>

今日からまた少しずつ書くようにしますね☆-(-_^)

どうぞお楽しみに~(^o^)☆

  

さてさて前回は罪の結果について書きました。

アダムが犯した罪の結果、これが今日に至るまでずっと引き継がれてきています。

でも神様はそんな私たちを無視したり、「もういいやぁ」ってあきらめちゃったりはしていません。

それでもなお、私たちを愛し続けてくださっているんです。

これ、本当に凄いし、嬉しいですよね~♪

だって、本来なら「もういい!!」って怒って滅ぼしてもおかしくないし、今日に至るまでの人間の姿を見れば、じょうがないなって思っちゃいますよね。

でも神様はそんな私たちの状況をご存じで、その上でどうにか救おうと非常手段を選ばれたのです。

それが御子であられるイエス様の十字架☆

イエス様が私たちの罪を完全に処分するためにこの地にこられたのです。

聖書を読むといかに父なる神様と御子であられるイエス様との関係が深いか、そして愛によって結ばれていて、だれも入る余地のない関係です。

父なる神様はそのイエス様を全人間の罪を処分するために、最高に愛されていて、それこそ目に入れても痛くない程のお方であるイエス様を罪だらけの人間としてこの地に誕生させ、人間生活を送らせられました。

そして33歳半の時、私たちの罪を一身に背負って、罪を購うための犠牲の捧げものとして十字架にかかられたのです。

その瞬間、最愛の父なる神様からも見捨てられ、罪のための犠牲の捧げものとなられたのです。

罪を購うためには、傷のない子羊を裂いて捧げる必要があります。

この子羊となったのです。

そして全ての人の罪を一身に背負い、捧げものとして十字架上で死なれました。

この捧げられたイエス様の十字架を父なる神様は満足されました。

今日、私たちはこの十字架を見上げ、イエス様の十字架が自分の罪を処分するためだと信じ受け入れた時、私たちの罪の縄目は完全に自由とされます。

これが父なる神様が私たちのためになされた御業なのです。

ですから、イエス様が十字架にかかられたのは非常なことなのです。

そしてこれは人ごとではなく、私やあなたのためなのです。

今日、この十字架を受け取りませんか?

その時、本当の意味で自由とされます。

これから、このブログでその自由にされるための学びをご一緒にしていこうと思っています。

まさにいのちの水を思い存分飲むための学びです☆

まず次回ですが、このイエス様の十字架について、旧約聖書のイザヤ書53から学びたいと思っています。

どうぞご期待ください♪

ではでは(^▽^)/~~~~~

   

   

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2006年12月 9日 (土)

罪の結果

こんにちは~(^o^)/

前回から一ヶ月以上も更新していませんでした。

大変申し訳ありません <(_ _)>

なるべくこまめに更新するようにしますね☆
  

さてさて、前回の学び、覚えているでしょうか?

女が蛇の誘惑に負けてしまい、善悪知識の木の実を食べてしまいました。

そして聖書は食べた後の二人をこのように記載しています。

  

 

二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。(創世記3:7)

   

これが神様の命令を無視した結果です。

ここであれっ?って思われる方もいるかもしれません。

っていうのは、神様は彼らにこう言ったからです。

園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。(創世記2:16)

そして彼らはその「食べちゃ駄目だ、絶対に死ぬから」って神様から言われた木の実を食べてしまいました。

でも死んでないです。

??????

神様の間違い・・・・

いいえ、神様は決して間違える方ではありません。神様が語られたことばは必ず実現します。
   

ではどうして善悪知識の木の実を食べてもまだ生きてるんでしょうか?

これを理解するためには人間の構成を知る必要があります。

創世記2章7節をご覧下さい。このように書かれています。

主なる神は、土(アダマ ※ヘブル語で土のことをアダマと言います)の塵(ちり)で人(アダム ※ヘブル語で人のことをアダムと言います。つまりアダムとは土から出来ている言葉です)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者(※原語では生きる魂)となった。

ここで神様は人の鼻に命の息を吹き入れられました。この「息」とは霊を意味します。つまり、神様は人に命なる霊を吹き込まれたのです。
   

さてこの創世記2章7節から人の構成を見てみましょう。

人はの構成は3つから成り立っています。

①体:

まず神様は土のチリから人の体をつくられました。

この体をギリシャ語ではsoma(ソーマ)と言って、動物的な命っていう意味です。

体はどんな動物とも共通していて、熱い・痛い・明るいとか、何か具体的な物と触れたりして、いろんなものを肌で感じることが出来ますよね。

神様はまず人を土のチりからこの体を造られたのです。

そしてこの体、現実に土と非常に似た成分から出来ているんです。

②霊:

神様は人を土のチリから体をまず造られました。

そしてその体の鼻の穴に、神様はご自身の命の霊を吹き込まれました。

ですから人には霊があるんです。

③魂:

ここで不思議なんですが、神様は魂をどのように造られたのかが記されていません。

そしてわかることは、神様が人の鼻の穴にご自身の命の霊を吹き込まれたら、魂が生まれたということです。

きっとこの霊と体の何らかの関係というか作用というかで魂が生まれたんだと思います。

この魂とは精神という意味です。

ギリシャ語ではプシュケーって言い、サイコロジー(心理学)の語源となっています。

この魂ですが3つの機能を持っています。

(1)いろんなことを考える思い。

(2)様々なことを感じる感情。

(3)自分で選択などをする意志。

この3つの機能を持っています。

いわゆる知・情・意のことで、喜びや悲しみ、怒りといった精神的な現象が起こる部分です。

よく自我に目覚めるとかいう自我の部分、これが魂です。

この魂、決して霊から独立して機能することはなく、いつも充実に霊に従って、霊と体を媒体する役割をしていました。

つまり、神様の御心や愛、喜びを霊が受けます。それを魂が受け取り、体に伝えることによって体はそれを具体的に表現するのです。

これが最初の人間の姿です。

人間は非常にバランスが整えられて、神様の愛を一心に受けていたのです。

だから罪など決してありませんでした。

当初、彼らが神様に禁じられていた善悪知識を知る木の実を食べる前は、彼らの内にある霊が神様と交わっていました。

ヨハネによる福音書4章24節にはこのように書かれています。

神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。

彼らは神様と霊によって交わっていました。そして霊で受けたことを魂が思い、感情、意志という形で体に伝えます。それを体が表情で表していました。

それはとてもバランスが取れていて秩序正しい状態でした。

ましてや罪など一切なかったのです。

また自分の意志は持っていましたが、その意志で神様の御心を聞き、それに対して応答する生活をしていました。

ですから、神様を抜きに自分勝手に行動するとか、自分だけの意志決定で判断するなどあり得ないことです。

彼らはもちろん罪など一切なかったし、罪というもの自体知らなかったのです。
   

ところが蛇を通してサタンが彼らに攻撃をしかけてきたのです。

サタンの正体は偽りです。嘘です。多くの場合、90%の真理に10%の偽りを混ぜて、甘い言葉で誘惑します。

ある場合は人を通してですが、多くの場合は自分の思いにきます。

そしていろんな計算といいますか、考えを思いめぐらし、そして結果的にサタンの誘惑に負けてしまいます。

アダムと女はこのサタンの誘惑の魔の手に負けてしまったのです。

そしてサタンは女を攻撃し、そして女から男であるアダムに促され、結果的に男女二人ともサタンの魔の手に巻けてしまいました。

その瞬間、彼らは罪を犯しました。

罪とはギリシャ語でハマルティアと言います。日本語にすると「的外れ」ということです。

弓矢で的をめがけて撃つ時にめがけた升から外れてしまうことを意味します。

つまり神様の御心から外れてしまたったり、神様が悲しまれることや、神様以上に大切にするものがあること、それらを罪というのです。

アダムと女が善悪知識の木の実を食べた瞬間に、彼らは罪を犯したのです。

そしてその瞬間に確かに彼らは死んだのです。

えっ、だから死んでないじゃ~~ん!!!

いえいえ、彼らは死んだのです。
   

確かに肉体はまだ生きています。でも彼らの内にある霊、神様が直接彼らの鼻の穴の中に息を吹き込まれたそのんだのです。

正式には霊としての機能が停止したと言った方が正しいですね。

その結果、彼らは神様抜きで、自分の魂を遣り繰りし、自分の意志で全てを決定するようになりました。

そして今日に至っています。

とはいうものの霊の名残といいますか、そのようなものは残っています。

旧約聖書のマラキ書2章15節にはこのように書かれています。

神は人を一体に造られたではないか。彼には、霊の残りがある。(新改訳聖書)

この「霊の残り」とは良心のことです。

誰にも良心はありますよね。

この良心を通して神様の声は聞くことは出来ます。

しかし問題はそれに応答するかどうかです。

魂がNoと拒否をして、自分の意志、感情、思いを駆使して自己判断をして行動するのが今日に至るまでの私たち人間の姿です。

よく言いますよね、「誰にも頼れないんだよ。自分しか頼ることが出来ないんだから!」ってね。

ぼくも子供の頃からそう言われて育ちました。

これが霊が死んだ人間の姿です。

そして今日に至ってます。

  
今日はここまで!

長い文章、つきあってくださりどうもありがとうございます<(_ _)>

次回はその人間に対して神様がどのような対処をされたのかを学びます。

そしていよいよイエス様についても学ぶ予定です。

神様は私たち人間を愛されています。そしてその愛がどんなに大きいかをご一緒に学びましょう。

どうぞお楽しみに!

キリストの愛を込めて。。。

ではでは(^▽^)/~~~~~

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2006年11月 5日 (日)

甘い誘惑

こんにちは~(^o^)/

前回の記事から気付いてみたら約1ヶ月ちょい。

こんなにもの間ほったらかしてしまってごめんなさい<(_ _)>

また今日からちょこちょこ、といいつつ少しずつですが書くようにしますね☆

 

さてさて、前回はエデンでの生活がどんなにすばらしい生活かということを書きました。

神様の似姿に造られ、その鼻に神様ご自身のいのちの息を吹き込まれたアダム、そしてそのアダムのあばら骨から造られた女性。

この二人はエデンの園で神様の愛の中、自由を満喫していました。

この時の二人は全く罪を知らなかったのです。

二人は神様のいのちによって生かされ、彼らの内にある神様のいのちの霊を通していつも神様と交わり、そして神様から全ての判断基準を聞いて、それに従って歩んでいました。

だから100%罪を犯すことはなく、純粋に神様の愛の中ですくすくと育っていたのです。

創世記2章25節には「人とその妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」って書かれています。

お互いは裸でしたが、でも彼らは、お互いの体を通して、その内にある神様の霊を見て、お互いを通して神様を見ていたのです。

だから裸であっても何の問題もないし、性的な欲望や興奮が起きるようなことは無かったのです。

これが本来の人間の姿です。

ただし今日、救われてクリスチャンになったとしても、まだ古い肉体を身に宿っているので、救われたからもう裸でいいというのは間違っています。

将来、この地が滅びて新しい天と新しい地が造られた時は、そのようになるでしょう。

しかし今はまだ贖われていないので、きちんと服を着るべきです。

そういう異端がいますので、要注意です。

 

 

さて、神様は二人にこう命じられました。

主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(創世記2章16節)

神様は二人に対して一つだけ禁止されたのです。それは善悪の知識の木からは絶対に食べちゃだめだっていうことです。

それを食べたら必ず死んでしまうからです。

それ以外の部分は全て自由でした。そして彼らは自由を満喫し、エンジョイしていました。

ここまでが前回の内容です☆

 

☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆

 

 

そして今日は創世記3章を学びます。

今日の学びはとってもとっても重要ですよ。それは今生きている私たちにも関わっていることだからです!

 

創世記3章にはなんと蛇が出てくるんです。蛇ってこんなに昔からいたんです。

この蛇について聖書はこう言っています、

主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。(創世記3章1節)

蛇ってもの凄く頭がいい動物として神様は造られたんですね。そしてもともとはこの蛇も神様の祝福の中にあったことと思います。

だって神様は無駄なものを一切造られないからです。

でもこの蛇、頭がいい分、狙われやすいんだと思います。サタンはそんな蛇の中に入ってしまいました。

今日学ぶ3章はこの蛇とアダムの妻とのやり取りから始まります。

 

ある日、女は一人野を歩いていました。

すると蛇が女の近くに寄ってこんなことを言いました。

園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。

この当時、蛇は人間と会話をすることが可能だったのでしょう。それか蛇の内に入ったサタンが蛇を通して人間の言葉を語ったのかもしれません。

でも聖書でこのように会話したと書かれているので、蛇が人間とコミュニケーションする能力が与えられていたと受け取るべきだと思います。

 

女は答えました、

わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。

あれ?! 何か変だと思いませんか?わかりますか?

女はここできっといろんな複雑な思いが考査したことと思います。

でも変だと思いませんか?

それは蛇は一言も「園の中央にある木」の事を言っていません。ただ「『園のどの木からも食べちゃだめだ』なんてて神は言われたのか?」って言っただけです。

これってどういうことでしょう?

ぼく思うんですが、きっとここで女は神様を弁護しようとしたんじゃないのかなっていう気もします。

というのは蛇の言葉尻に神様の言葉を批判しているように聞こえるからです。

だって蛇の言い回しを見ると「本当に神ともあろうお方が『園のどの木からも食べてはいけない』などと言ったのか?」って言っているように聞こえますよね。

そしてこの命令が意識の中心にあったから、あわてて「園の中央に生えている木の果実」って言ったのだと思います。

 

でも彼女、神様が言われたことと微妙にずれたことを言っていますね。わかりますか?

神様は「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と言われました。

でも彼女は「食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから」って言ってるんです。

ずれてますよね~。

 

神様は「食べると必ず死んでしまう」って言われたのに、女はその言葉のトーンを落として、「死んではいけないから食べてはいけないよ」って曖昧にしています。

どういうことでしょう?

実はもう蛇の戦術に負けちゃっているんだと思います。

神様を弁護しようとしたあまりに、神様の言葉を変えてしまっているのでしょう。

でももうこの時点で蛇の罠にかかってしまっています。

 

ここから私たちは学ぶべきことがあります。

私たちも同じようなことをしちゃうことがあると思います。

よくあるパターンは、「神様優しいお父さんだから赦してくださる」っていう言葉です。

そして罪に対して甘くしてしまい、罪を犯すことに対して曖昧になってしまうのです。

習慣的な罪に対して、どこかで「神様優しいお父さんだから大丈夫」って繰り返しやってしまい、その度に悔い改める。

でもその悔い改めも「赦してくださっているから感謝♪」って罪を憎むということが麻痺してしまっています。

こういうこと、有りませんか?

 

確かに神様は優しいお父さんです。でも優しいのと溺愛して甘やかすのとは違います。

優しくて子供が可愛いからこそ、時に厳しく叱ることもあります。それは大切な可愛い子供だからです。

それをそういう風に言葉を変えるというのは、神様を侮辱しているのと同じです。

私たちは神様の前にへりくだる必要があります。そして優しい天のお父さんだからこそ、そのお父さんが喜ばれる歩みをするべきです。

お父さんが嫌われることをすべきではありません。

 

さて、蛇は女に言いました、

決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。

女が神様を弁護して言葉を曖昧にした瞬間、蛇は目をキラーンと光らせて「しめた!」って思ったことでしょう。

そしてとどめだとばかりに言ったのです。

「食べても大丈夫!決して死ぬことはないよ。それを食べたら、お前の目が開けて神様のように善悪がわかるようになrんだよ。それを知っているから神様は『食べたら死ぬ』なんて言ったんだぞ。」

その瞬間、女の目が開かれました。悪い意味で。。。。

 

改めて女はじ~~っとその果実を見ました。

その木はいかにも美味しそうで、目を引きつけました。

まるでその果実が女に「ほ~ら、私を食べてごらん♪おいし~ぞ~♪♪ しかも私を食べたら神様みたいになれるんだからなぁ~☆」ってそそのかしているように見えたのです。

 

そしてついに女は実を取ってパクリって食べちゃいました。

それだけじゃなく、何と一緒にいた男であるアダムにもそれを渡したので、アダムも食べちゃいました。

 

さて、ここからも学ぶべきことがあります。

まず第一に罪を見てはいけないっていうことです。

どんな罪もそうですが、その罪を見ると段々と興味が引かれて心が奪われます。そしてまず「見たい」っていう思いが起こります。

そして少しずつ行動へと移ります。そうしたらもう後戻り出来ません。

それへの対処策は、そこから避けることです。近づかないことです。

私に限って大丈夫!っていう人がまれにいますが、そういう人こそ危ないんです。その人は自分を知らないからそんなことを言っているのです。

 

第二に、女と男の問題です。性の問題です。

男性は女性に対して弱い存在です。どんな男であっても女性に対する弱さを持っています。

もし女性が男性に対して心開いて身体を許してしまったら、男性は本能からセックスへと導かれやすくなってしまいます。

よほど防備していないと危険です。

しかし女性が身体を許さなければ、そうなる可能性は低いでしょう。

しかし男性も問題があります。いろいろな理由付けをして身体を求めるのであるなら、女性は心を、そして身体を許しやすくなります。

 

結婚という公の神様との契約以外でのセックスは罪です。

その罪に陥らないにはどうするべきか、それは男女間で必要以上の接触をしないことです。

またセックス関係の会話を避ける、そういうシュチュエーションの場所に行かないことです。

 

女は果実を見た時、その誘惑に負けてしまいました。

同じように私たちも罪を見ないこと、そこから離れること、これが重要な鍵です。

 

こうやって二人の目は開け、自分たちが裸であったことを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとしました。

 

今日はここまで。

次回は二人が神様の命令を破り、食べてはいけない木の実を食べてしまった結果を学びます。

お楽しみに!

 

皆さんの内に主の豊かな祝福がありますように、あらゆる誘惑から勝利されるよう、心から祈ります。

キリストの愛を込めて。。。

 

ではでは (^▽^)/~~~~~

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2006年9月25日 (月)

エデンの生活☆

こんにちは~ (^o^)/

前回までのこと、覚えていますでしょうか?

神様が人を造られ、そのあばら骨から女を造られたという話です。

今回はその続きです (^o^)v

 

人とその妻は、二人とも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。(創世記2章25節)

 

この時代、人間は服を着ていなかったのです。つまり生まれたままの姿、丸裸だったんです!

これ、どういうことでしょうか?

このみことばの後半の部分にその答えの鍵があります。

 

互いに恥ずかしいとは思わなかった

 

そう、お互いの裸を見ても恥ずかしくなかったし、どうとも思わなかったのです。

またそこにはあらゆる良きものがありました。環境もすばらしいです。

 

裸でいられるっていうことはどういうことでしょうか?

寒くないっていうことです。温度が整えられ、また日本みたいにジメジメもしてないです。

 

聖書を見ると彼らがどのような環境に置かれたかが書かれています。

 

神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。

神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。 園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。 一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの源となっていた。

第一のものの名はビション。それはハビラの全土を巡って流れる。そこには金があった。その地の金は、良質で、また、そこにはベドラハとしまめのうもあった。

第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れる。

第三の川の名はティグリス。それはアシュルの東を流れる。

第四の川、それはユーフラテスである。

神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守られた。

神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2章8~18節)

 

神様が彼らを置かれた場所であるエデン、何かすごいとこですね~☆

川があるっていうことは水に恵まれているし、第一の川からは良質の金、それにベドラハっていう宝石やしまめのう、これも宝石ですね、それらが取れたようです。

それにエデンには見るからに好ましく食べるのに良い木が生えていたそうです。きっとあま~い果実の香りで満ちていて幸せな気持ちになるような場所なんでしょうね(笑)

ところでエデンってどういう意味だと思いますか? 「歓喜」とか「隅々までよく潤された所」っていう意味なんです☆

っていうことはやっぱりすごいとこなんですね~(^o^)☆

そこに神様は彼らを置かれたんです。

彼らはそこにある何を食べるのも自由。本当にすばらしい生活をしていました。

でも神様は一つだけ条件を出されました。それは

善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ

っていうことです。

それ以外は自由です。

どうしてそのような条件を出されたんでしょう?それは人の自由意志によって神様と交わって欲しかったからです。

それとともに人間を信頼していたことでしょう。

だからこのような条件を出したのだと思います。

だってもし何の条件もなく、全て必要なものだけを与えていたのなら、ペットと同じです。

人間は神様のペットじゃないです。神様とのパートナー、つまり神様と愛の関係を持つために、ご自身に似せて造られた存在なんです☆

 

さてさて、話を最初に戻しますね。

最初の男と女はお互いに生まれたままの裸で生活していました。

これ、どういう意味なんでしょう???

 

実はこれ、罪の無い姿を現しているんです。この当時彼らには全く罪がなかったんです。そして性欲の罪も無いし、それ自体知らないです。

だからお互いに裸でいても恥ずかしくなかったんです。

また彼らはお互いの表面的な裸体を見ているのではなく、お互いを通して神様ご自身を見ていたことだと思います。

つまり神様に似せて造られた相手を通して神様ご自身を見、そして24時間ずっと神様と交わっていたのです。

 

今日はそうはいきませんね。裸でいることは出来ません。しかし彼らは裸でいても問題無しです。

 

これが最初の人アダムとアダムのあばら骨によって造られた女の最初の姿だったのです。

 

実はヨハネの黙示録を見ると、この天と地は滅び、新しい天と地となると書かれています。

そしてこの新しい天と地こそ、このエデンなのです。

そしてこのエデンにキリストの十字架によって罪赦された者が入ることが出来るのです。

もちろんその時の前に死んだ人たちもです。

クリスチャンの希望はそこにあるのです!!!

 

じゃぁ、今はどうなんでしょうか?今日、生きているこの時もその前味わいを経験できるのです。

どうやってでしょうか?それはイエス様との交わりを通してです。

イエス様と愛の関係を深めれば深めるほど、このエデンの生活の前味わいを経験できます。

 

でもこれは前味わい。たとえて言えばデパートの地下街の試食品です。

どこかの地域の物産展とかに行くと、そこの名産の美味しいものをほんのちょっと食べさせてもらえます。それを食べると不思議なんですが、もっともっと食べたくなります。そうやって商品を買うんですよね。

それと同じです。イエス様との関係を深めれば深めるほど、将来のエデンでの生活が待ちどうしくなります。

 

いかがですか?もしイエス様との交わりが少ないなぁ~って感じているのでしたら、今日、「イエス様~」って語ってみませんか?

恋人に語るように、また結婚されていたら、もちろん今でもいいのですが、結婚したての新婚時代を思い出して、その時相手に語っていたのと同じように、イエス様に語ってみてください、

「イエス様~♪」ってね☆

必ずイエス様は答えてくださいます。

 

皆さんの祝福を祈りつつ、、、

キリストの愛をこめて・・・

 

ではでは (^▽^)/~~~~~

 

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2006年9月 9日 (土)

最初の女~あばら骨より~

こんにちは~ (^o^)/

お久し振りです。約3ヶ月振りですね。
この学び、3ヶ月もの間中断しちゃってごめんなさいm(_ _)m

別にパッション(情熱)なくなっちゃったわけでもあきたわけでもなんでもないです。

気持ちはずっとこのブログに思いはあったんですよ~。

でも状況の変化があったりして、思い通りいかず、結果的に3ヶ月放置しちゃったんです。

いつやるの?やるつもりあんのぉ???って思われていた方もいるかもしれませんね。

またちょくちょくここに来てくださった方、本当にごめんなさい m(_ _)m

今日からまた少しずつになりますが、書いていきますね。

 

※☆※★※☆※
 
 

さてさて、前回までずっとこの天と地、海や川、太陽、月、山、いろいろな木々、植物、動物、そして前回は人間が造られたことを学んできました。

今日、初めてここに来られた方はぜひぜひ前回までの記事をぱ~っとでいいですから目を通してください。

前回の学びは地球上最初の人が神様に似せて造られ、ご自身のいのちの息を吹き込まれたことをみことばを通して学びました。

私たちは神様に似せて造られ、しかも最高傑作品として造られたんです。
しかも、神様ご自身のいのちの息を最初の人の鼻の穴の中にふぅ~って吹き込まれたんです。

こうやって人は生きる者となったんです。

これが前回の内容です。今回はその続きです☆

 
☆★☆★☆★☆★☆★
 

最初の人は神様そっくりに最高傑作品として神様に造られました。

そして神様はエデンというところに園を設けられ、そこに神様の形造った人を置かれました。

そこは最高の場所だったんですよ。

神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の木を生えさせた。一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこかわら分かれて、四つの源となっていた。(創世記2章9~10節)

食べ物も豊富にあり、最高の環境、本当に素晴らしい場所に神様は最初の人を置かれたんです。

 
☆★☆★☆★☆★☆★
 
 

でも人には助け手がいなかったんです。つまり一人ぼっち。。。

でも神様が一緒にいるからいいじゃん!って思うかもしれませんね。

でもね、神様は人をそのようには造られなかったようです。
人には助け手が必要なのです。

神様は最初、いろんな動物が人の助け手になるかなって思われました。
でも駄目でした。

そこで神様は人を眠らせました。

神である主は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。(創世記2章21~22節)

これが世界最初の女性です。
そしてこの女性こそが最初の人である男性の助け手となったのです。
 

☆★☆★☆★☆★☆★
 
 

さてさて、この女性はどのように造られたのでしょうか?

最初の人は神様によって神様の似姿に造られました。
それに対して最初の女性は最初の人のあばら骨を基に造られたのです。

えぇ~!最初の男は神様似で女は男似っていうこと????

そう思うかもしれませんね。でもね、考えてみてください。
最初の男は神様の似姿に造られた最高傑作。
そして女は神様が最初の人のあばら骨からご自身が造られたんですよ。

そして男が神様の似姿っていうことは女も神様似なんです。

  
こうやって神様が女性を男性のところに連れて来られました。
すると男性は賛美しだしたのです!

これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。

本当に嬉しかったんですね♪

そして男と女は神様の愛と恵みの中で結婚をし、結ばれて一つとなったのです。

それ以来、男と女は父母と離れ、神様の前で結婚をし、結ばれて一つとなります。
 

☆★☆★☆★☆★☆★
 
 

これが結婚です。結婚は大切なものです。
今日、結婚前にセックスをするのは当たり前。お互いに好きになったら一つになりたい。そして肉体関係へと自然と導かれる。

ある年齢で処女である、童貞であるということは恥ずかしい、早く卒業しよう! こういう風潮すらあります。

また結婚までセックスをしないなんてナンセンス、時代遅れも甚だしい。セックスこそが愛の証し。好きな人に喜んで身体を明け渡す。

これが今日の社会です。日本だけじゃないでしょう。世界的な風潮だと思います。

 

でもはっきり言います、これは聖書に書かれていることとは逆のことです。
結婚という神様との契約の前のセックスは罪です!
神様が願われていないからです。

これを読んで「厳しい!」って思われる方もいると思います。
時代と逆行していると思われる方もいるでしょう。
ついていけないって呆れる人のいるでしょう。
不快感を強く感じる人もいるかもしれませんね。

でもね、ぼくがあえてこういうことを書いたのには理由があります。
これを読んでいる人が本当に祝福された歩みをして欲しいからです。
お付き合いしているなら、結婚までのセックスの誘惑から勝利して欲しいからです。
そして祝福された結婚をして欲しいからです。

時代はずれというならそれでよいです。この時代程信頼できないものはないです。
その時代というものに頼るか、永遠に変わらない、今日に至るまで数え切れないほどの人に影響を与え、変え続けてきた聖書に立つかどっちかです。

ぼくは聖書に立ちます。皆さんもこの聖書に土台を置いて欲しいんです。
 
 
☆★☆★☆★☆★☆★
 

男と女は祝福のうちに神様の前における結婚という契約をとおして初めて一つとなります。

男と女は神様が相応しい人同士結び付けさせて、結婚へと導かれます。
神様は一人一人にとって相応しい人を彼らが生まれる前からご存知です。
そしてその人同士を出会わせてくださいます。

神様が出会わせ、結び付けさせてくださった者同士が、
結婚という覆いの中で初めて一つとされる、
つまり結婚した後、神様の祝福の中でセックスを楽しむことが赦されるのです。

これが幸せな結婚生活の秘訣です☆
 

☆★☆★☆★☆★☆★
 
 
このように神様は最初に男を、そして男の助け手として女を、男のあばら骨を1本取り除いてその骨から女を造られました。

そして神様はすべてご計画のうちに造られ、その通りに男と女が祝福のうちに結び付けられました。

 
※☆※★※☆※
 

今日はこの辺にします。
皆さんは本当に神様に愛されている存在なんです。性別が男であろうと女であろうと関係なく神様の最高傑作、目的をもってこの地に誕生し、今生きているんです☆
ハレルヤ!主は素晴らしいですね (^o^)☆

これからの歩みも皆さんのうちに主の素晴らしい祝福が満ちますよう、心から祈ります。

キリストの愛を込めて。。。。

ではでは (^_^)/~~

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2006年5月20日 (土)

☆人間誕生物語☆

こんにちは(^-^*)/ 
前回までこの地球をどのように神様が造られたのかを学びましたね。
最初混沌として真っ暗闇でぞっとするような不気味な状態だった地球、その地球を神様が6日間で整え、山や海、太陽、月、植物を造り、動物を造られました。そして6日目、最後に人間を造られました。

さて、今回はこの「人間」について学ぶことにします。

☆★☆★☆★☆★☆★

①天における三者会談:

神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて、彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。』」(旧約聖書創世記1章26節)

前回学びましたが、神様は全てをお膳立てして最後に人間を造られました。しかもその時に神様ご自身に似せて造られたのです。

さて、ここで「我々のかたちとして、我々に似せて」ってありますね。

この「我々」ってだれのことでしょう?

実はそれは父なる神様、子なるイエス様、聖霊様です。

「あれ、イエスさまって2000年前にお生まれになったはずなのにどうしてここに????」って思われたかも知れませんね。

でも実は人間としてこの地上にお生まれになる前からイエス様はおられたのです。そしてこの天と地と動植物、人間を6日間で造られた時、まるで三者会談をしながら造られたかのように造られたのです。そしてその現場にイエス様もおられたのです。

この時のイエスさまは肉体を持っておらず、いろいろな束縛からも完全に自由でした。そして実はイエスさまは旧約聖書にも何度か出てきているのです。

今回の箇所もイエスさまの出演場所です。

☆★☆★☆★☆★☆★

②神様が人間を造られた目的:

さて話を戻します。

人間は父なる神様、子なるイエス様、聖霊様に似た存在として造られました。そしてこの地上で「海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するために」造られたのです。

本来これらの動物は神様が造られたものなので、神様がこれらの動物を支配するのが普通ですよね。

でも神様はその支配権を人間に任せたのです。

っていうことは、神様は人間をこれら動物たちをご自身と一緒に支配する存在として造られたのです。

神様と人間との共同作業!!!すごくないですか?

神様は人間をそれほどまでも愛しておられたのです。

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③神様はどのように人間を造られたのか?:

ではこの人間、どのように造られたのでしょうか?
しばらくここで人間がどのように造られたのかを見ていきましょう!

神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生き物となった。」(旧約聖書創世記2章7節)

(1)人は土地のちりで造られた:

神様は最初に人を土地のちりで形造られました。神様は何もないところから最初の人を土のちりを捏ねて、その土の固まりで人を造ったのです。

それはまるで陶芸家が陶器を作るようだったと思います。それこそ心を込めて人間をご自身に似せて造られたのです。

最初の人はアダムと言います。このアダムって日本語に訳すと「土」っていう意味なのです。

皆さんも聞いたことがあると思います。「人間は死んだら土に帰る」って。

人間は死後火葬場に行き燃やされると、そこに残るのは灰と骨です。ぼくはそれを見た時、このことを思い出しました。人は土のちりから造られたということをです。

でもこの時点ではまだ物質の固まりにしか過ぎません。

本当に不思議ですが、人は死ぬとまるで冷蔵庫の中に入れられたように体が冷たくなります。どうしてでしょう?そこにはもう命がないからです。

そこに命が吹き込まれるとき、はじめて人間となるのです。

(2)土の固まりで造られた人の鼻に神様のいのちの息が吹き込まれる:

神様は土の固まりであった人の鼻の穴にご自身のいのちの息を「ふ~」っと吹き込まれました。

すると人は生きる者となったのです。

この神様のいのちの息が吹き込まれた時、人のうちに霊が入ったのです。

人は霊的な存在です。人の内には霊があるのです。

その霊はこの神様が吹き込まれた「いのちの息」です。原文ではここは「霊の息」と書かれています。

☆★☆★☆★☆★☆★

さて、この霊とはどういう役割をしているのでしょう?

実はこの霊によって神様と交わることが出来たのです。神様は人の霊にご自身の御心や人への思いなどを語られました。そして人は自分の内にある霊によってその神様の語られたことばを理解し、従ったのです。

(3)人の体と霊の何らかの相互作用によって「魂」が出来た:

神様は最初に人を土のちりを捏ねて、その固まりから造られました。そこにご自身の霊を「ふ~」って吹き込み、人の中に霊を挿入しました。

さてその結果として魂が出来たのです。

日本語訳の聖書は「そこで人は生きものとなった」って書いてありますが、原文では「そこで人は生きる魂となった」と書かれています。

さて、魂って何でしょう?

魂とは「精神」のことと理解されればいいと思います。
これをギリシャ語ではプシュケーと言い、サイコロジー(Psychology)、つまり心理学の語源となっています。

☆★☆★☆★☆★☆★

さてこの魂には3つの機能があります。

(a)思い:
いろいろな事を考える「思い」です。

(b)感情:
様々な事を感じる「感情」です。

(c)意志:
自分でいろんな事を選択する「意志」です。

☆つまり、魂の機能は喜びや悲しみ、怒りといった精神的な現象が起こる部分です。
自分というアイデンティティを感じることの出来る自我の座と言えます。

そしてこの魂はいつも人の内にある霊に従っていて、いつも神様の愛を思い、感情、意志で感じていました。それが喜びとか、また皮膚感覚などを体が感じていたのです。

ですから最初の人は24時間ずっと神様と交わり、神様の愛と恵みを十二分に受けて、いつも神様のことだけを考え、それを思いや感情で感じ、意志をもって神様に従い、そしてその喜びを体が表現していたのです。

そこには罪など一切存在しません。憎しみも裏切りも悲しみも一切ありませんでした。

こうして最初の人は神様の愛を体全体で感じ取り、神様によって育まれていたのです。

このように神様は人間を愛され、特別な存在として造られたのです。

☆★☆★☆★☆★☆★

今回はこの辺で終りにします。

次回は人間の誕生についての続きを学びます。

どうぞおたのしみに~

ではでは (^_^)/~~サヨナラ

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2006年4月27日 (木)

☆地球はじめて物語Part2☆

こんにちは☆☆☆
今回はいよいよ神様の地球の製作の総仕上げです。

前回まで5日間の神様の働きを見てきました。混沌とした状態の地球がわずか5日間で光が差し込み、月と太陽と星が出来、海も陸も出来、そこにいろいろな植物が生え、動物が造られました。

神様はそれを見てとても満足されました。そしていよいよ6日目です!!

⑥第六日目
前回までで神様はいろいろな種類の動物を造られました。でも何かが足りません。
何だかわかりますか?答えは人間です。

そこで神様は言われました、
さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」(創世記2:26)

するとそのとおりになりました。

この様に初めの人は神様に似せて造られたと聖書に書かれています。つまり神様ご自身が造られたのです。しかも六日間でです!!!

神様はお造りになったすべてのものを見られ、「見よ。それは非常に良かった」と言われました。

⑦第七日目
こうして神様は六日間で地球と動植物とすべての環境を造られ、最後にそれらの物を支配するために人間を造られました。

そして七日目、この日にご自身がなさっていたわざの完成を告げられました。

この日、神様はなさっていたすべてのわざを休まれました。そしてこの第七日目を祝福し、この日を聖であるとされたのです。

今日カレンダーを見ると一週間に一日、日曜日は休みになっています。実はそれもここから来ているのです。

つまり6日間は仕事をして、最後の1日は聖なる日として聖別し、神様を礼拝するようにということです。

☆★☆★☆★☆★☆★

いかがでしたか?駆け足でこの地球のはじめについて見てきました。

すべては神様によって造られたということが聖書のメッセージです。そしてそこには秩序があり、神様は人間や動物が住むのに最も適した環境に造られました。この地球は神様の最高芸術作品なのです。

そして私たち人間の祖先、最初の人は神様によって、神様に似せて造られたのです。

ということは、私たち一人一人も実は神様似なのです。

どうしてでしょう?

人にはそれぞれDNAがあり、そのDNAに刻み込まれている内容によって性格や体質、顔の形や体型などが決められます。そしてそれは先祖代々親から子へと受け継がれているのです。

皆さんはきっとお父さんとお母さんに似ておられるでしょう。またおじいちゃん、おばあちゃん似でもあるでしょうね。

そして先祖代々辿っていくと、究極的な行き着く先はこの最初の人です。そして最初の人は神様似なのです。

っていうことは、私たち人間はすべて神様に似た特別な存在なのです。

聖書は私たち一人一人は偶然に生まれて死んでいくだけの存在ではなく、特別に神様の似姿にデザインされ、神様の愛の中で目的を持って生きている存在であると書かれています。

そして神様はその私たちを心から愛され、その為にご自身の御子であられるイエス・キリストをこの地上に人間として生まれさせ、私たちの罪のためのささげものとなられたのです。

☆★☆★☆★☆★☆★

しかし世の中には障害を抱えて生まれてくる子どもも沢山います。ご両親にとってそれは大きな悲しみだと思います。

「どうしてうちの子が。。。」って思われると思います。

でもその子どもも神様は特別に愛されているのです。世界中で障害を抱えながら、神様と出会い、その愛を知り、神様から与えられた命を輝かせて生活されている方はいっぱいいます。

そしてそういう障害があるからこそ、その分神様の愛が伝わってくるのです。

もちろん「その立場でないのにどうしてそんなことを。。。」って思われるかもしれません。

確かにそのとおりです。でもこれだけは覚えていて欲しいのです。

人は外面的な部分を見るかもしれません。でも神様の目は違います。
神様はその人の外面も内面もトータルに見ておられるのです。そしてそのすべてを含めて神様に似せられているのです。

障害を抱えて生まれてきた子どもは神様に特別に愛されるために生まれてきたのです。

そして同時に神様は外面的な部分も内面的な部分も全部含めて目に入れても痛くないぐらいに大切な存在として見られているのです。

これは誰にも当てはまります。

神様はどういう状態の人であっても変わらない愛を注がれています。

☆★☆★☆★☆★☆★

私たちは神様から特別に愛されている存在です。例外は一切ありません。
誰一人として意味もなく偶然たまたま生まれてきた人はいません。
皆さん全員、神様の目には高価で尊い存在なのです☆☆☆☆☆

☆あなたは愛されています☆

☆★☆★☆★☆★☆★

最後にぼくのとっても好きな歌の歌詞を紹介します。
「君は愛されるために生まれた」という歌です。韓国で生まれた歌で、韓国ではクリスチャン、クリスチャンでないに関わらずとっても流行ったヒット曲です。

※☆※★※☆※

きみは愛されるため生まれた
作詞・作曲/イ・ミンソプ 訳詞/神 明宏 朴 鍾弼 & B.B.J.

きみは愛されるため生まれた
きみの生涯は愛で満ちている

きみは愛されるため生まれた
きみの生涯は愛で満ちている

永遠の神の愛は われらの出会いの中で実を結ぶ
きみの存在が 私にはどれほど大きな喜びでしょう

きみは愛されるため生まれた 今もその愛受けている
きみは愛されるため生まれた 今もその愛受けている

(イ・ミンソプ公認訳)
(C)2004 Lee Min Sup/LIFE MUSIC(WORD OF LIFE PRESS MINISTRIES

試聴はこちらからどうぞ。
ホームページの左上にある「君は
愛されるために生まれた」のCDジャケッ
トの下のメディアプレイヤーかリアルワン
プレイヤーをクリックしてお聞きください。

※☆※★※☆※

今日、心を開いて私たちをお造りになった神様の愛を受け入れませんか?

でも私たちと神様の間に罪という障害があり、それが邪魔で神様の愛を受け取ることが出来ません。

罪とは犯罪を犯すことだけではありません。神様が悲しまれることすべてです。
そして何よりも神様の存在を認めずに、自分の好き勝手に、自分のやり方で生きる生き方です。時には認めたとしても神様を自分の都合のよいように利用する、これらが罪です。

その罪の為に神様と私たちとの間に隔ての壁が出来てしまっています。

でもその壁を取り除くためにイエス・キリストが約2000年前に人間としてこの地上にお生まれになりました。そしてそれら私たちの罪全部ご自身のものとされ、神様の前にいけにえのささげものとして十字架にかかられました。神の子であり、罪の存在すら知らないお方がです。

このお方、イエス・キリストが私の罪の為に十字架にかかられたことを認め、そしてこのイエス様を自分の救い主として認め、受け入れることによって、その壁が完全に取り除かれます。

そして私たちの内にある罪、神様を悲しませてきた全てがもはや無いものとされるのです。

今日、このイエス・キリストを御自分の救い主として受け入れませんか?

そしてもし今日「イエスさまを私の救い主として受け入れたい」と思われたのでしたら、次の祈りを声に出してしてください。

イエス様、私は罪を犯してきました。しかしあなたが私の罪の身代わりに十字架にかかられたことを知りました。イエス様、ごめんなさい。そして有難うございます。私は、今日、イエス様を私の救い主として受け入れます。これからよろしくお願いします。このお祈りをイエス・キリストのお名前によってお祈りします、アーメン

このお祈りをされたら、あなたはもうクリスチャンです。是非お近くのキリスト教会に行かれることをお勧めします。

皆さんの内に神様の愛が豊かに満たされ、豊かに祝福されるように心から祈ります。
キリストの愛を込めて。。。。

☆★☆★☆★☆★☆★

今回はこの辺で。次回は最初の人がどのように神様に造られたかを学びます。
お楽しみに~(^o^)V

ではでは (^_^)/~~サヨナラ~

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2006年4月19日 (水)

☆地球はじめて物語☆

こんにちは☆☆☆
今日は旧約聖書の創世記1章をとおして、地球の初めについて学びましょう☆

このことをまず学ぶことはとっても大切です。これが聖書全体のメッセージでもあるからです。

☆★☆★☆★☆★☆★

幼い頃、宇宙の絵本や未来についての図鑑などで、将来、宇宙スティションが出来るとか、火星や月で生活出来るとか、気軽に宇宙旅行が出来るというような夢みたいなことが書かれていてわくわくしながら読んだことを覚えています。

でもこの宇宙、そしてぼくらが生活をしている地球ってどうやって出来たんでしょうね?

実は聖書には地球がどうやって出来たのか、そして具体的に山や川や海、また空と地面、いろんな昆虫や動物、魚、哺乳類など、そして人間がどのように出来たのかが書かれているんです。

また聖書はこの宇宙も神様の御手によって造られ、支配されているとも書かれています。

聖書って凄いですねぇ☆

☆★☆★☆★☆★☆★

初めに、神が天と地を創造した。」(旧約聖書創世記1章1節)

これが聖書のメッセージです。神様が天と地を造られたのです。

そのことが旧約聖書の創世記1章に書かれています。しかもこの章によると神様はたった6日間で天と地を造られ、海や山、空の鳥や動物や昆虫、魚、また地面に生えている綺麗なお花など、そして最後に人間を造られたと書かれています☆

ということで、さっそくこの神様による地球という芸術作品の6日間に渡る製作過程を見に行きましょう★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*

☆★☆★☆★☆★☆★

神様がどのように6日間で神様が天と地を造られたかを見ましょう!

①第一日目;
初めに、神が天と地を創造された。地は茫漠(ぼうばく)として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。」(創世記1:1-2)

地球は最初、混沌として何もなく、しかも真っ暗闇の状態でした。身動き出来ないほどの暗さ、いるだけで怖くて逃げ出したくなるような不気味さがただよう、そういう所でした。そして闇の上には大水があって、そこを神の霊が動いていたのです。

そういう混沌とした状態の地球に対して、神様は「光があれ」と仰せられました。なんとその一言で真っ暗闇で混沌として薄気味悪い地球にパァっと光が照らされたのです。そのようにして闇と光とが区別されました。

そして光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられました。これが昼と夜のはじめです。

これが第一日目の神様による地球の創造です。神様はその光を見て良しとされました。

②第二日目;
神は仰せられた。『大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ。』」(創世記1:6)

混沌とし、非常に恐ろしい真っ暗闇の状態の地球に、神様の一言で光が差し込みました。それが1日目ですね。

でもまだ空中はどんよりしていて、しかも水で覆われていた状態でした。神様は一言、「大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ」って言われました。するとなんとそのとおりになり、水で覆われたその真中に大空が出来たのです。

こうして神様は水で覆われた空中の真中に大空を造られ、大空の下の水と大空の上の水とを区別されました。

そして神様は大空を「天」となずけられました。

これが2日目に神様がなされたことです。

③第三日目;
さて2日目に空中の水と水が別れたのですが、まだとても動植物が育つような環境ではありませんでした。

そこで神様は一言言われました。
天の下の水が一所に集まれ。かわいた所が現れよ。」(創世記1:9)

なんとそのとおりになりました。水で覆われたいた地と空中に乾いた地面が現れたのです。

そして神様は、乾いた所を「地」となずけられ、空と地に満ちていた水が一箇所に集められたその場所を「海」となずけられました。

これが普段私たちが何気なく歩いている地面と、夏になると泳ぎに行ったりする「海」や「川」のはじめです。

神様はその地面と海が分かれた地球を見て一言言われました、
地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類に従って、地の上に芽ばえさせよ。」(創世記1:11)

なんとそのとおりになったのです。

水だらけのところから乾いた地面が出て来て、そこにいろんな植物が出来たのです。またいろいろな果物が出来る果樹もその瞬間に芽生えたのです。

これが今日、ガーデニングなどで楽しんだりしているお花、心が癒される山の木々や野の花、美味しいフルーツの果樹などのはじめです。

神様はそれを見て「良し」とされました。

④第四日目
そして第四日目です。
初日に神様はまず真っ暗闇な地球に光を差込、光を昼とし、闇を夜としました。でもまだ今日のような状態ではないです。

そこで神様は言われました。
光る物が天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のためにあれ。また天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」(創世記1:14~15)

なんとそのようになりました。神様は二つの大きな光る物と星を造られて、その二つの大きな光る物のうち、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせました。

もうこれは何かおわかりですよね。そう、太陽と月です。太陽も月も地球を照らすために神様が造られたものだったのです。

また空気の綺麗な所に行って夜空を眺めると、まるで宝石がひきつめられたように光っている「星」、これも実は神様によって造られたものです。

そう、神様は地球だけではなく、全宇宙をも造られたお方なのです。

このように神様はそれらを天の大空に置いて、地上を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇とを分けさせました。

このように第四日目に神様は地球を照らすためのデザインをされたのです。

神様はこれを見て「良し」と言われました。こうして第四日目が終わりました。

⑤第五日目
第四日目までで今日の地球の姿に近づいていますね。太陽も月も星も造られたし、いろんな植物も植えられ、海も出来ました。

でもまだ足りないものがあります。それは動物や魚など、生き物です。生きるための環境は整えられ、後はそこに住む生物だけです。

そこで神様は言われました、
水には生き物が群がれ。鳥が地の上、天の大空を飛べ。」(創世記1:20)

なんとまたしてもそのようになったのです。

神は、海の巨獣と、種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造された。神はそれを見て良しとされた。」(創世記1:21)

こうして大きな動物や魚、またクジラや鮫やその他「大きな怪物」と言われる海に住むものが造られたのです。

ここまででわかるとおり、動物も魚も独立して神様によって造られたのです。決してプランクトンから進化してあるものは動物となり、魚となったのではありません。神様の創造の産物です。

神様はこれを見て「良し」とされました。

そして神様はそれらを祝福して仰せられました。
生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は地にふえよ。」(創世記1:22)

そして続けて言われました、
地が、種類にしたがって、生き物を生ぜよ。家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。」(創世記1:24)

そのとおりになりました。このように今日見ることが出来るいろいろな種類の動物や魚がこの日に造られたのです。

こうして第五日目が終わりました。

☆★☆★☆★☆★☆★

このように神様は5日間で私たちが今住んでいるこの地球を造られ、そしてあらゆる動植物やそれらが生きていくための環境を整えられました。

今日のお話は、私たちがこれまで見聞きし、学校などで学んできたことと逆のように聞こえるかもしれません。

でもこれが聖書のメッセージなのです。

聖書のメッセージは「この地にあるものすべては偶然に出来たものでも、自然発生的に出来たものでもない。神様がご計画され、設計され、造られた最高傑作の芸術品であり、偶然に自然発生したのではない」ということです。

自然を見る時、余りの壮大さの前に圧倒される事がありますね。それは神様がそれを造られ、その環境や生態系をも造られたからです。

そしてそこには秩序があり、全てが完全に整えられています。

しかし私たちがその自然を自分たちの都合で切り崩すとき、異常気象になったりして環境が壊れてきます。現実に今日、その問題で大変なこととなってますね。

このように、この地球は全知全能なる神様の最高芸術作品であり、全てが計算されています。そして地球だけではなく、全宇宙が神様によって造られ、そして全てが秩序正しく運行されています。そして一切そこには無駄はありません。

そして実は私たち人間もこの神様によって造られたのです。

今日、このお方に心を開いて「神様、ありがとうございます。感謝します!」って神様に感謝の言葉を言ってみませんか?

☆★☆★☆★☆★☆★

最後にダビデという今から何千年も前に存在したイスラエルの王さまの書いた詩を紹介します。

この詩の括弧の中に「私」と入れておきました。ぜひ、「あなた」や「イスラエル」と書いてあるところを「私」に置き換えて、声を出して読んでみてください。きっと神様の愛深さが伝わってくると思います。


~旧約聖書詩篇121編~

私は山に向かって目を上げる。
私の助けはどこから来るのだろうか。

私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなた(私)の足をよろけさせず、
あなた(私)を守る方は、まどろむこともない。

見よ。イスラエル(私)を守る方は、
まどろむこともなく、眠ることもない。

主は、あなた(私)を守る方。
主は、あなた(私)の右の手(※)をおおう陰。

昼も、日が、あなた(私)を打つことがなく、
夜も、月が、あなた(私)を打つことはない。

主は、すべてのわざわいから、あなた(私)を守り、
あなた(私)のいのちを守られる。

主は、あなた(私)を行くにも帰るにも、

今よりとこしえまでも守られる。

☆★☆★☆★☆★☆★

※☆※★※☆※

※上の詩に「右の手」と書かれていますが、この右の手とは力や強さという意味です。
ですからここは、「私たちの力や強さを覆って、その代わりに神様が私たちの力、強さとなってくださる」といういう意味です。

※☆※★※☆※

全宇宙を造られた神様が皆さんを豊かに祝福してくださるよう、心から祈ります。

キリストの愛を込めて。。。

☆★☆★☆★☆★☆★

今回はここまで。さあ次回はいよいよ神様の地球製作の総仕上げです。お楽しみに~ (^o^)v

ではでは (^_^)/~~サヨナラ~

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