こんにちは~(^o^)/
前回の記事から気付いてみたら約1ヶ月ちょい。
こんなにもの間ほったらかしてしまってごめんなさい<(_ _)>
また今日からちょこちょこ、といいつつ少しずつですが書くようにしますね☆
さてさて、前回はエデンでの生活がどんなにすばらしい生活かということを書きました。
神様の似姿に造られ、その鼻に神様ご自身のいのちの息を吹き込まれたアダム、そしてそのアダムのあばら骨から造られた女性。
この二人はエデンの園で神様の愛の中、自由を満喫していました。
この時の二人は全く罪を知らなかったのです。
二人は神様のいのちによって生かされ、彼らの内にある神様のいのちの霊を通していつも神様と交わり、そして神様から全ての判断基準を聞いて、それに従って歩んでいました。
だから100%罪を犯すことはなく、純粋に神様の愛の中ですくすくと育っていたのです。
創世記2章25節には「人とその妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」って書かれています。
お互いは裸でしたが、でも彼らは、お互いの体を通して、その内にある神様の霊を見て、お互いを通して神様を見ていたのです。
だから裸であっても何の問題もないし、性的な欲望や興奮が起きるようなことは無かったのです。
これが本来の人間の姿です。
ただし今日、救われてクリスチャンになったとしても、まだ古い肉体を身に宿っているので、救われたからもう裸でいいというのは間違っています。
将来、この地が滅びて新しい天と新しい地が造られた時は、そのようになるでしょう。
しかし今はまだ贖われていないので、きちんと服を着るべきです。
そういう異端がいますので、要注意です。
さて、神様は二人にこう命じられました。
主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(創世記2章16節)
神様は二人に対して一つだけ禁止されたのです。それは善悪の知識の木からは絶対に食べちゃだめだっていうことです。
それを食べたら必ず死んでしまうからです。
それ以外の部分は全て自由でした。そして彼らは自由を満喫し、エンジョイしていました。
ここまでが前回の内容です☆
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そして今日は創世記3章を学びます。
今日の学びはとってもとっても重要ですよ。それは今生きている私たちにも関わっていることだからです!
創世記3章にはなんと蛇が出てくるんです。蛇ってこんなに昔からいたんです。
この蛇について聖書はこう言っています、
主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。(創世記3章1節)
蛇ってもの凄く頭がいい動物として神様は造られたんですね。そしてもともとはこの蛇も神様の祝福の中にあったことと思います。
だって神様は無駄なものを一切造られないからです。
でもこの蛇、頭がいい分、狙われやすいんだと思います。サタンはそんな蛇の中に入ってしまいました。
今日学ぶ3章はこの蛇とアダムの妻とのやり取りから始まります。
ある日、女は一人野を歩いていました。
すると蛇が女の近くに寄ってこんなことを言いました。
園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。
この当時、蛇は人間と会話をすることが可能だったのでしょう。それか蛇の内に入ったサタンが蛇を通して人間の言葉を語ったのかもしれません。
でも聖書でこのように会話したと書かれているので、蛇が人間とコミュニケーションする能力が与えられていたと受け取るべきだと思います。
女は答えました、
わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。
あれ?! 何か変だと思いませんか?わかりますか?
女はここできっといろんな複雑な思いが考査したことと思います。
でも変だと思いませんか?
それは蛇は一言も「園の中央にある木」の事を言っていません。ただ「『園のどの木からも食べちゃだめだ』なんてて神は言われたのか?」って言っただけです。
これってどういうことでしょう?
ぼく思うんですが、きっとここで女は神様を弁護しようとしたんじゃないのかなっていう気もします。
というのは蛇の言葉尻に神様の言葉を批判しているように聞こえるからです。
だって蛇の言い回しを見ると「本当に神ともあろうお方が『園のどの木からも食べてはいけない』などと言ったのか?」って言っているように聞こえますよね。
そしてこの命令が意識の中心にあったから、あわてて「園の中央に生えている木の果実」って言ったのだと思います。
でも彼女、神様が言われたことと微妙にずれたことを言っていますね。わかりますか?
神様は「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と言われました。
でも彼女は「食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから」って言ってるんです。
ずれてますよね~。
神様は「食べると必ず死んでしまう」って言われたのに、女はその言葉のトーンを落として、「死んではいけないから食べてはいけないよ」って曖昧にしています。
どういうことでしょう?
実はもう蛇の戦術に負けちゃっているんだと思います。
神様を弁護しようとしたあまりに、神様の言葉を変えてしまっているのでしょう。
でももうこの時点で蛇の罠にかかってしまっています。
ここから私たちは学ぶべきことがあります。
私たちも同じようなことをしちゃうことがあると思います。
よくあるパターンは、「神様優しいお父さんだから赦してくださる」っていう言葉です。
そして罪に対して甘くしてしまい、罪を犯すことに対して曖昧になってしまうのです。
習慣的な罪に対して、どこかで「神様優しいお父さんだから大丈夫」って繰り返しやってしまい、その度に悔い改める。
でもその悔い改めも「赦してくださっているから感謝♪」って罪を憎むということが麻痺してしまっています。
こういうこと、有りませんか?
確かに神様は優しいお父さんです。でも優しいのと溺愛して甘やかすのとは違います。
優しくて子供が可愛いからこそ、時に厳しく叱ることもあります。それは大切な可愛い子供だからです。
それをそういう風に言葉を変えるというのは、神様を侮辱しているのと同じです。
私たちは神様の前にへりくだる必要があります。そして優しい天のお父さんだからこそ、そのお父さんが喜ばれる歩みをするべきです。
お父さんが嫌われることをすべきではありません。
さて、蛇は女に言いました、
決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。
女が神様を弁護して言葉を曖昧にした瞬間、蛇は目をキラーンと光らせて「しめた!」って思ったことでしょう。
そしてとどめだとばかりに言ったのです。
「食べても大丈夫!決して死ぬことはないよ。それを食べたら、お前の目が開けて神様のように善悪がわかるようになrんだよ。それを知っているから神様は『食べたら死ぬ』なんて言ったんだぞ。」
その瞬間、女の目が開かれました。悪い意味で。。。。
改めて女はじ~~っとその果実を見ました。
その木はいかにも美味しそうで、目を引きつけました。
まるでその果実が女に「ほ~ら、私を食べてごらん♪おいし~ぞ~♪♪ しかも私を食べたら神様みたいになれるんだからなぁ~☆」ってそそのかしているように見えたのです。
そしてついに女は実を取ってパクリって食べちゃいました。
それだけじゃなく、何と一緒にいた男であるアダムにもそれを渡したので、アダムも食べちゃいました。
さて、ここからも学ぶべきことがあります。
まず第一に罪を見てはいけないっていうことです。
どんな罪もそうですが、その罪を見ると段々と興味が引かれて心が奪われます。そしてまず「見たい」っていう思いが起こります。
そして少しずつ行動へと移ります。そうしたらもう後戻り出来ません。
それへの対処策は、そこから避けることです。近づかないことです。
私に限って大丈夫!っていう人がまれにいますが、そういう人こそ危ないんです。その人は自分を知らないからそんなことを言っているのです。
第二に、女と男の問題です。性の問題です。
男性は女性に対して弱い存在です。どんな男であっても女性に対する弱さを持っています。
もし女性が男性に対して心開いて身体を許してしまったら、男性は本能からセックスへと導かれやすくなってしまいます。
よほど防備していないと危険です。
しかし女性が身体を許さなければ、そうなる可能性は低いでしょう。
しかし男性も問題があります。いろいろな理由付けをして身体を求めるのであるなら、女性は心を、そして身体を許しやすくなります。
結婚という公の神様との契約以外でのセックスは罪です。
その罪に陥らないにはどうするべきか、それは男女間で必要以上の接触をしないことです。
またセックス関係の会話を避ける、そういうシュチュエーションの場所に行かないことです。
女は果実を見た時、その誘惑に負けてしまいました。
同じように私たちも罪を見ないこと、そこから離れること、これが重要な鍵です。
こうやって二人の目は開け、自分たちが裸であったことを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとしました。
今日はここまで。
次回は二人が神様の命令を破り、食べてはいけない木の実を食べてしまった結果を学びます。
お楽しみに!
皆さんの内に主の豊かな祝福がありますように、あらゆる誘惑から勝利されるよう、心から祈ります。
キリストの愛を込めて。。。
ではでは (^▽^)/~~~~~
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