2010年2月 6日 (土)

復活のイエス様と結ばれた恵み

こんにちは~happy01

今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょうheart04

今日の聖書箇所はローマの信徒への手紙7章4節ですshine

  

ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。

それは、あなたがたがが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようにようになるためなのです。

   

前回、私たちがイエス様と共に十字架で死んだということについてをご一緒に学びました。

イエス様が十字架につかれた時、私たちもイエス様と結ばれ一つとされて、イエス様の内で共に十字架につき、イエス様と共に十字架で死んだのです。

罪人であり、神様との関係を持たず、自分の魂の力で生きてきた私たちは、あの十字架でイエス様と共に死んだのです。
  
その結果、律法の支配、律法の呪いから完全に自由にされたのです。

  
  
さて、ローマの信徒への手紙7章4節の後半のみことばを御覧ください。

それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。  

  
私たちはイエス様の体と結ばれ、十字架で死にました。

イエス様が十字架にかかられたとき、私たちはイエス様の内にいて、イエス様と共に十字架上で死んだのです。

  

さてイエス様は十字架上で死なれた後、三日目に復活、よみがえられました。

実は私たちがイエス様と結ばれたのは十字架上だけではなく、この復活においてもイエス様と結ばれ、イエス様と共に復活したのです。

そして復活の力により、私たちは神様に対して実を結ぶのです。

  
  
私たちは復活のイエス様と結ばれ、新しくされました。

過去の罪人としても私とは別人です。

これは私たちの行いによるのではありません。

誰かに認められたからでもありません。

生まれの問題です。

私たちの状況がどうであってもです。

  

私たちは復活のイエス様と結ばれたことにより、私たちの内にはイエス様の命が宿っています。

イエス様の復活の命です。

このイエス様が私たちの内で、かつて過酷な要求をされ続けた律法を成してくださっているのです。

ですから、私たちが努力してもなし得ない律法を、私たちが何もせずとも、イエス様が私たちの内で律法の完成してくださっているのです。

そして父なる神様はそれを見て喜ばれているのです。

  
多くの場合、女性が結婚すると、自分の性ではなく、夫の姓を名乗るようになります。

これは夫婦となることにより、花婿である夫と一つになるということですね。

そして彼女は夫と一つとなり、夫の姓だけではなく、夫の所有物をも所有するようになります。

これは私たちがイエス様と将来結婚する型、絵です。

結婚し夫婦となることにより、将来のイエス様との夫婦関係を体験するのです。
  
  

実は私たちがイエス様と結ばれるとき、この地上での夫婦関係と同じことが言えるのです。

私たちがイエス様と結ばれ、イエス様のものとなるとき、イエス様のものは全て私たちのものとなるのです。

しかもイエス様は私たちの内で、ご自身の無限の資源により、天のお父様の要求を全てイエス様が答えてくださるのです。

これが私たちクリスチャンの今の立場なのです。

  

前回も書きましたが、問題は私たちがそれを受け入れるかだけなのです。

サタンはそれを受け入れさせないように、巧みに私たちを誘惑し、今の自分の状態を見
せ、イエス様と結ばれているなどは絵に描いた餅、現実とはほど遠いと感じさせます。

しかしこれは私たちの状況とか、経験とかとは全く関係ありません。

生まれの問題です。

私たちは新しくされたのです。

古い私たちとは全く別者です。

私たちは完全に新しくされたのです。

私たちの内には復活の命が宿っているのです。

問題はそれを受け入れるかどうかです。

  

  
サタンはこの事実を隠して、わからないようにします。

或いは自分の状態を見せます。

時には人を通してそうさせます。

その結果、イエス様に受け入れられるために、イエス様に喜ばれるように、イエス様のお役に立つために一生懸命に努力をします。

しかし考えてみてください。

イエス様は誰の助けも必要としていません。

イエス様は神なのです。

私たちはイエス様と結ばれ、イエス様にお任せすることなのです。

そしてイエス様は私たちを通してご自身を現され、結果神様に対して実を結ぶようにな
るのです。

  
  
ですから問題は私たちなのです。

サタンの嘘に耳を開いては絶対にいけません。

私たちはイエス様と結ばれ、復活したのです。

私たちは全く新しくされたのです。

古い私たちはもう死んだのです。

しかし記憶や行動パターンの残像は脳に刻み込まれているので、何かの刺激で反応してしまいます。

私たちはこれに対して拒否するのです。

私たちの内にいますお方との関係の中で、たとえ反応しても、気づいたらそこから離れ、主の内に留まることです。

鍵はイエス様と結ばれるということ、イエス様の中で安息をし、満足をすることです。

私たちは今、全く新しくされ、イエス様と結ばれています。

その事実をアーメンと受け入れるとき、真の自由が与えられます。ハレルヤ!

祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。

ではではconfidentpaper

    
  

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2010年1月30日 (土)

私たちはもう死んでいる

こんにちは~happy01

今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょうheart04

今日の聖書箇所はローマの信徒への手紙7章2-4節ですshine

   
   

結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自
分を夫に結びつけていた律法から解放されるのです。

従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。
  
ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。

それは、あなたがたがが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようにようになるためなのです。

   
  
  
前回まで、私たちが律法から解放されて自由にされるには「死ぬ」以外にないということを2回に渡って学んできました。

今日はこの「死ぬ」ということについてをご一緒に学ぶこととします。

   
  
ローマの信徒への手紙7章4節にはこのように書かれています。
   
ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。

それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。

  
  
イエス様はアダム以来引き継いできた罪そのものとして十字架につかれました。
  
それは犠牲の捧げ物そのものです。

まさに十字架上で血が注がれ、その体が裂かれたのです。

その時、私たちもまたイエス様の内にいて、共に十字架につき、その体が裂かれ、死んだのです。

パウロは4節で何と言っていますか?

「あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています」と
言っています。

そう、私たちの霊はあの十字架上でイエス様と結び合わされ、一つとされて、イエス様の内で共に死んだのです。

昔アニメの一シーンで「お前はもう死んでいる」という決めゼリフがありましたが、まさにそう、あなたも私ももう死んでいるのです。

問題はそれを受け入れるかどうかです。

これから死ぬのではないです。

臨終の状態で死につつあるのでもありません。

はっきり言います。

「もう死んでいる」のです。

これをアーメンと受け入れるとき、私たちは自由とされます。

主が皆さんの目を開いてくださり、この真理を素直に受け入れられるよう、聖霊様が皆さんの内に働き、その霊的現実を見せてくださるよう、心からお祈りします。

  
  
さて、私たちがクリスチャンになった時のことを思い出してみてください。

皆さんはいろんな形でクリスチャンとなられたこととおもいます。

しかし皆さんがクリスチャンになったとき、何か努力をしましたか?

自分の罪を認め、イエス様が私の救い主であり、私のために十字架にかかられたことを受け入れただけですよね。
  
そこに何の努力も葛藤もありません。

苦しいのはそれが受け入れられない時です。

しかし、それを受け入れた時、今までのあの葛藤は、苦しみは何だったのだろうと思うくらい楽になったことと思います。

  

実はこの「イエス様と共に死んでいる」ということも全く同じなのです。

ところが、これを頭で理解しようとします。

そして自分の内面を見つめてしまいます。

するとどうなるのでしょう?

「私はまだ死んでいない」となるのです。

「私」は未だ不十分ですし、弱さもいっぱい抱えています。

そのようなものを否が応でも突きつけられ、そして「ああ、まだまだ死んでいない」となり、死ぬことを求めるのです。

しかしその結果は律法の縄目に陥り、ある人は律法的になり、肉の努力で死んだ者としての行動をします。

しかしそうしようとすればするほど、余計に苦しくなります。

その結果諦めてしまうのです。

   
  
私たちが自分の内面を見つめてしまうと、このように落ち込んでしまいます。

私たちは確かにイエス様と共に死んでいます。

しかし、まだ肉体という制限の中にいて、弱さを身にまとっているのです。

そして今、私たちはイエス様の似姿への造り替えの最中なのです。

マルコによる福音書4章26節でこのように言われました。

神の国は次のようなものである。

人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。

土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂に豊かな実ができる。

(マルコ4:26-28)

   
植物が育つ過程において、いつ芽を出すか、花が咲くのか、それはわからないですよね。
  
いつの間にか芽が出て、成長します。

それと同じなのです。

私たちが造り替えられるのは聖霊の働きです。

ですから、まず自分の内面を見つめ、自分で自分を罪定めして責めることを止め、聖霊のなさることに身を任せることなのです。
  
自分を成長するのは私たちの努力ではないです。

成長させるのは神(1コリ3:6)なのです。

私たちが聖霊のなさることに身を委ねる時、いつの間にか変えられていることを発見します。

そう、いつの間にかです。

    

    
私たちはイエス様が十字架にかかられたとき、イエス様の内にいて、私たちはイエス様と共に死にました。

私もあなたもイエス様の十字架と結ばれて、一つとなり、死んだのです。

今日、この事実をアーメンと信じ受け入れましょう。

そして自分の内面を見て、自分を責めることに卒業しましょう。

主はそんな私たちを愛してくださり、私たちを休ませてくださいます。

力を抜いて、主に委ね、そこに安息するとき、自分でも気づかない内に、内側が変わっています。

イエス様の命が満ちていき、私たちの内にイエス様のご性質が現されていきます。

これもいつの間にかです。
  
さあ、自分の内側を見たり、責めたりすることを止め、ご一緒にイエス様の中に座り、安息し、イエス様を味わい、思い存分楽しみましょう。
  
祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。。

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2010年1月24日 (日)

私たちと律法の関係 その2

こんにちは~happy01

今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょうheart04

今日の聖書箇所はローマの信徒への手紙7章2-4節ですshine



結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結びつけていた律法から解放されるのです。

従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。

ところで、兄弟達、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。

それは、あなたがたがが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようにようになるためなのです。



前回の続きです。

パウロはローマの信徒への手紙7章で、二人の夫と一人の妻の例えから、律法と私たちとの関係を現しています。

女は二人の内一人を夫として選ばなければならないのですが、不幸にも彼女は間違った選択をしてしまいました。

選んだ夫は正しい義に満ちた人なのですが、とっても厳格な人です。

そして厳しい要求を妻にします。

しかし彼女はそれに答えることが全く出来ません。

夫の要求に答えよう、期待に何とかして答えたいと思うのですが、結果は逆、答えるどころか失敗ばかりです。

夫は厳しい要求をしますが、決して彼女を助けようとはしません。

さて、彼女が選ばなかったもう一人の男ですが、この人は正しい人で、彼女が選んだ夫以上に厳しい要求もしてきます。

しかし彼は愛そのもので、優しく彼女を助け、彼女の代わりに彼がしてくれる、そういう人です。

彼女は選択を間違えたばかりに非常に苦しんでいます。

  

  
この夫婦関係こそが私たちと律法との関係であり、もう一人の男こそ、イエス様です。

律法は多くのことを要求しますが、その要求を達成するためには、何の助けも与えてくれません。

厳しい要求をするだけです。

一方イエス様は律法と同程度のものを要求します。

山上の説教を見ればわかりますよね。

しかしイエス様は、私たちに求められるものを、自ら私たちの内側に実現して下さるのです。

  

律法は私たちに要求しますが、何の助けもせず、私たちを放っておきます。

イエス様は私たちに要求はなさいますが、御自分でなさったその要求を私たちの内に自ら成就してくださるのです。

しかしこの律法、永遠に存続します。

律法が永遠に残るのでしたら、どうやって私たちはイエス様と結ばれることができるのでしょう。

最初の夫、あの過酷な要求ばかりする夫が元気で死なないのなら、女はどうやって再婚できるのでしょう?

もちろん殺すなど許されません。

また今の状態で別の男と関係を結べば姦淫の罪を犯します。

しかし夫は元気で死ぬことはありません。

夫が死なければ、私の方で死ぬしかないのです。

そう、律法からの解放は、要求に答える努力をするのでも、「主よ!」と叫び求めるのでもありません。

要求を受けている「私」が死ぬのです。

もし私が死ねば、その時点で結婚関係は解消です。

これこそが、律法から解放されるための神様の方法なのです。

  

ローマの信徒への手紙7章の中で最も重要な箇所は、3節から4節への移り変わりです。

1節から3節は夫が死ぬべきことを示していますが、4節においては、死ぬのは女であることを見ます。

律法は死なないし無くなりません。

ですから私が死ぬのです。

そして死ぬことによって律法から完全に解放され、自由になるのです。

    

律法は無くなりません。

神様の厳しい要求は永遠に存在します。

私たちは生きている限り、その要求に応じなければならないのです。

しかし、私が死ねば、律法は私に対する要求を失ってしまいます。

律法は死人に対して何の権威もないのです。

  
  

さて、前章である6章において罪からの解放について学びましたが、この罪からの解放と同じ原理が、律法からの解放の際にも働いているのです。

私はイエス様と共に死にました。

しかし罪自体は消えていません。

依然として存在しています。

しかし罪がどんなに凄くても、死人にはどうすることも出来ません。

私が生きている間は何でも求めることはできますし、思いのままに操ります。

しかし私が死ねば、罪は死んだ私に対して何の効力も無くなるのです。

  

律法の場合も同じです。

妻が生きている間は夫に結ばれていますが、妻の死と共に、この夫婦の絆は断たれます。

このように彼女は夫の過酷な要求、つまり律法から完全に解放され、自由になるのです。

律法はなおも要求を続けるでしょうけど、私に対する力はすでに失ったのです。

どうしてでしょう?

私はもう死んだからです。

   

パウロはこの6章、7章を通して「私もあなたもイエス様と一つになり、もう死んでいるんだよ!」と語っています。

それ程、このイエス様と共に死んでいるということは重要なことなのです。

しかし、皆さんの内で、そうは言っても現実に生きているし、尚も罪を犯すし、みことばにも従いきれていないので、死んだとか解放されたとか言われても、ピンとこないと思われている方もおられるかもしれません。

しかし私たちの状況がどうであっても、ピンとこようとこまいが関係なく、私もあなたもキリ
ストと共に死んでいるのです。

私たちは今、造り替えの途中です。

ですから時に失敗をしてしまうこともあります。

しかしそこに目を向けている限り、サタンの思う壺なのです。

問題はどこに立つかです。

私はイエス様と共に死んだのだという立場に立つか、そうはいってもという見える状況に立つのかです。

もし「私は死んだ」という立場に立つなら、もうあなたは自由です。罪も律法も何の効力がありません。

罪を犯しても、イエス様の血潮で新しくされるのです。

さあ、今が決断です。

  

わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。

わたしは、キリストと共に十字架につけられています。

生きているのは、もはやわたしではありません。

キリストがわたしの内に生きておられるのです。

わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。

ガラテヤの信徒への手紙2章19-20節

  

祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。

ではではconfidentpaper

※次回もローマの信徒への手紙7章2-4節の解説をお送りします。お楽しみに。

  
  

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2010年1月16日 (土)

私たちと律法の関係 その1

こんにちは~happy01

今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょうheart04

今日の聖書箇所はローマの信徒への手紙7章2-4節ですshine

結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結びつけていた律法から解放されるのです。

従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。

ところで、兄弟達、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。

それは、あなたがたがが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようにようになるためなのです。

前回も書きましたが、ローマの信徒への手紙6章で、神様がどのように私たちを罪から解放されたかを学びました。

今回、学ぶローマの信徒への手紙7章においては、神様がどのようにして私たちを律法から解放されるかを学びます。

そして、このローマの信徒への手紙7章は非常に重要な箇所ですが、難しい部分もありますので、時間をかけ、じっくりと学ぶこととします。

さて、ローマの信徒への手紙6章においては、罪からの解放の道は、主人と奴隷示されています。

それに対して7章において、律法からの解放の道を、「二人の夫とと一人の妻」の関係において示されているのです。

さあ、みことばを見ていきましょう。

7章2-3節において、一人の妻と二人の夫について描かれています。

この女性、結婚候補は二人いたのですが、一人しか選ぶことはできません。

そして不幸にして彼女、間違った選択をしてしまったので、とても悩んでいます。

さて、この女性と結婚した男性、さぞ悪い夫かと思えば、そんなことは決してないのです。

決して暴力を振るったり、不倫をしたりするような男ではありません。

逆に非常にまじめで、俗にいう「堅物」です。

とても厳格な人で、小さい、細かい点に至るまで正確さを要求するのです。

しかも請求はしますが、決して手助けをするとか、そういうことはしません。

非常に厳格な夫で、厳しい要求を妻に求めるのです。

では妻はどうなのでしょう?

妻は真逆な性格で、すべてがあいまいであり、でたらめです。

彼女はいわゆる怠け者です。

ですから当然夫婦の性格が真逆でうまくいきません。

この夫、決して欠点がなく、パーフェクトな夫です。

ですから悪いところは決してありません。

彼は夫として、妻に物事を要求する権限を持っているからです。

しかも、その要求はすべて理に適っていて、ことごとく合法的なものばかりです。

ですから彼自身にも、彼の要求にも何一つ間違ったところがなく、問題はその要求どおりにやっていけない妻の方にあるのです。

彼女は自分がたびたび失敗をすることを十分に理解しているので、彼女は夫と生活している限り、自分のなすこと語ることすべてが間違っているように感じてしまいます。

ですから、彼女は非常に悩んでいるのです。

さて、最初に二人の結婚候補ということを話しましたが、妻が選ばなかった男性はどういう人なのでしょうか。

彼は非常に厳格であり、正しい人です。

それは彼女の夫以上です。

しかし彼は愛が溢れていて、失敗する彼女をいつもケアし、助けて、慰め、励ましてくれます。

彼の存在自体が愛なのです。

ですから彼女はこの男性と結婚をしたいと心から望みます。

しかし、彼女は「律法によって彼に繋がっている」ので、彼が死ななければ、正当に他の人と結婚することができません。

これがローマの信徒への手紙7章2-3節が語っていることです。

パウロはこのいびつな夫婦関係を通して、私たちと律法の関係を説明しているのです。

この厳格な堅物の夫、これこそが律法です。

そしてその妻こそが罪ある人間の姿です。

そしてもう一人の人、これこそがイエス様なのです。

この夫が正しいように律法はすべて正しいし、義です。

なぜなら、神様が与えたものだからです。

律法の要求も正しいです。

ですから律法は悪くありません。

では何が悪いのでしょう?

そう、妻の側、つまり私たち罪ある人間です。

そして律法はなくなりません。

「すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の一点一画も消え去ることはない」(マタイ5:18)と書いてあります。

ですから、永遠に律法は私たちに要求し続けます。

ではどうすればいいのでしょう?

私たちは永遠に律法の縄目の中で生きていかなければならないのでしょうか?

実は解決策があるのです。

それは私たちが死ぬことです。

律法がなくならないのなら、私たちが死ねば、律法から解放されます。

律法は墓の向こうまで要求してこないですから。

ではどうやって死ぬのでしょう?

実はもう私たちクリスチャンは死んでいるのです。

いつでしょうか?

イエス様が十字架にかかられた時です。

律法の支配下にあった私たちはすべて、イエス様の十字架の内にいました。

そしてイエス様が十字架に架かられたとき、一緒に私たちも十字架にかかり、イエス様と
共に死んだのです。

ですからもう律法の支配から完全に断ち切られました。

これが4節でパウロが言っていることなのです。

今日、是非覚えていてください。

私たちは罪の奴隷から自由にされました。

そして、律法の支配からも自由にされたのです。

律法の支配下で過酷な要求を受けていた古い私たちはイエス様と共に既に死んでいるのです。

そしてイエス様が3日目によみがえったとき、私たちもイエス様の内にいて、共によみがえりました。

そう、私たちは全く新しくされた存在なのです。

そして自由なのです。

このことを信じますか?

実感は無いかもしれません。

しかし感覚に頼らず、聖書のみことばに立つことです。

そのとき、御霊が私たちの内でイエス様の自由で満たしてくださいます。

祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。。

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※次回もローマの信徒への手紙7章2-4節の解説をお送りします。お楽しみに。

  
  

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