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2008年3月15日 (土)

愛の洗足への派遣

こんにちは~happy01

今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい、楽しみましょうheart04

今日は前回の箇所の後編をお送りしますshine

聖書箇所はヨハネによる福音書13章16~20節です。

  

  

はっきり言っておく。

僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。

このことがわかり、そのとおりに実行するなら、幸いである。

わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。

わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。

しかし、「わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった」という聖書の言葉は実現しなければならない。

事の起こる前に、今、言っておく。

事が起こったとき、「わたしはある」ということを、あなたがたが信じるようになるためである。

はっきり言っておく。

わたしを遣わす者を受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。

  

   

イエス様が弟子たちの足をお洗いになられた後、「互いに足を洗い合いなさい」と命じられました。

その足を洗うとはどういうことかということを前回は学びましたね。

今日はその後語られたことについてをご一緒に学びます。

   

   
イエス様は言われました。

はっきり言っておく。

僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。

このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである(16-17)。

  

  
私たちクリスチャンは相手の足を洗う働きをするように主は求めておられます。

しかし残念ながら必ずしも相手も自分の足を洗ってくれるとは限りません。

裏切られてしまったり、悲しい思いをされた方もいるかもしれません。

  

  
でもイエス様も同じように人に嘲られ、唾を吐きかけられ、鞭打たれ、そして十字架にまで付けられました。

しかしこの十字架こそがイエス様が足を洗ってくださった行為そのものですよね。

私たちの主人であり、唯一の師であり先生であるイエス様がそうされたのですから、私たちも同じ様にすることです。

主はご存じです。

そして天においての報いは大きいのです。

或いはこの世においても、主御自身から恵みが流れ、時に別の形で祝福が与えられま
す。

しかしまず私たちはそのような見返りを求めるのではなく、相手の人の足を喜びを持って洗うことです。

私たちが相手の人の足を洗う時、内なる主も一緒にその足を洗い、主は内側で喜ばれます。

その時私たちの内側に主御自身の喜びで満たされ、その臨在を味わう事が出来ます。

是非その恵みに預かりましょう。

   

   
さてその後、とても気になることを言われました、

わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。

わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。

しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない(18)。

  

   
イエス様は御自身を裏切る者がいるということを既にわかっていたのです。

残念ながら全員が全員足を洗う者とはならないことをです。

それはご存じの通り、イスカリオテのユダです。

彼については次回お話します。

今回は主が既に裏切る者がいることをわかっていたということを知っていただければと
思います。

   

   
弟子たちはここでイエス様が何を言っておられるのか、全く理解出来ませんでした。

彼らがこのことを理解したのは、イエス様の復活後天に挙げられた後のペンテコステの日、聖霊が下った時でした。

聖霊の光のもとでこの奥義が開かれたのです。

   

   
さて、イエス様がここで裏切る者がいるということの説明で、「わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった」という詩編41編10節のみことばが実現するためだと言われています。

この預言のみことばの「わたしに逆らった」ということばは、「その踵(かかと)を上げた」とも訳せます。

もともと「踏みつける」というような意味です。

この「踵を上げた」という言葉、どこかで聞いたことはありませんか?

聖書をよく読まれている方でしたら、ピンと来た事と思います。

そう、創世記3章15節の蛇であるサタンへの宣言です。

お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。

彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。

  

   
主がサタンに突きつけた裁きはこうやって十字架で実現されたのです。

   

   
イエス様は今理解出来ていない弟子たちにあえてこれを言われた理由として次のように言われました。

事の起こる前に、今、言っておく。

事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである(19)。

  

  
イエス様はここで、その裏切りの結果、つまり、十字架にかけられた時、「わたしはある」ということを信じるようになるためだと言われました。

この「わたしはある」という言葉、とても重要なおことばです。

それはモーセが主の名前を聞いた時、主は同じ「わたしはある。わたしはあるという者だ」(出エジ3:14)とおっしゃられました。

同じ「わたしはある」というおことばをイエス様は使われたのです。

「わたしはある」とはどういう意味かと言うと、存在そのもの、究極ということです。

英語で言うと「I AM」、ギリシャ語ではエゴーエイミーです。

このI AM なるお方、モーセを導かれたお方が十字架にかかられることで、神様から離れた人間を解放へと導かれたのです。

聖書の余白にこれを書かれておくことをお勧めします。

   

  

イエス様は最後に「わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」(20)と言われました。

弟子たちは足を洗い合うということを命じられました。

足を洗い、それを受け入れる人は、その人の内におられるイエス様御自身を受け入れ、そしてイエス様と一つに結び合わされている父なる神様をも受け入れるのです。

だから私たちは見返りを求めず、イエス様の愛を注ぐこと、足を洗うことです。

主はその私たちを、私たちの内側からお喜びになられています。

今主は私たちをも派遣されています。

さあ、今私たちの周りの人の足を洗い、キリストの愛を伝えるのです。

祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。
  

ではではconfidentpaper   

   

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