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2008年7月12日 (土)

☆去られることの恵み☆

こんにちは~happy01

今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょうheart04

今日の聖書箇所はヨハネによる福音書16章4節後半-11節ですshine

  

  
初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。

今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。

むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。

しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。

わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。

わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。

その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。

罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。

   
  

前回、イエス様がユダヤ人たちが弟子たちを迫害する預言をされたことを学びましたね。

今日はその続きです。

イエス様は言われました、

初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒だったからである。

今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。

むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。」(4節後半-6)

  

  
今、イエス様が十字架にかかられる直前に弟子たちにイエス様の御思いをすべて語られました。

しかしこれ、イエス様の3年半の公生涯の最後の最後まで語られませんでした。

イエス様がいよいよ十字架にかかられる前に当たってご自身の弟子訓練に時間をかけられ、その弟子訓練の時になってからイエス様はご自身が十字架に架かること、まもなくこの地を去って行くことを語られました。

それは弟子たちの心の状態を主はよくおわかりだからです。

これは私たちに対しても同じです。イエス様は私たちの全てを理解してくださっています。

私たちの心の状態も全てです。

パウロはこのように語っています。

あなたがたを襲った試練で、人間として絶えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
(一コリント10:13)

  
イエス様は私たちの全てをご存じで、その上で私たちを愛していてくださり、私たちの日々必要に応えてくださり、イエス様の似姿に変えて、義の道へと導いてくださっているの
です。

これが私たちの現在の状態なのです。

  

  
さてイエス様はこのように弟子たちにご自身の御思いを余すところなく話しましたが、弟子たちは理解出来ませんでした。

最初の頃は現実味が無いためか、イエス様にペトロは

主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます(ヨハネ13:37)

と言ったのですが、いざイエス様が去っていくことが現実的になると、もはや悲しみと恐れでイエス様にどこに行かれるのかを聞くことが出来ないでいるのです。

17節にはこうあります。

そこで、弟子たちのある者は互いに言った。

「『しばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」

また、言った。

「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」(ヨハネ16:17-18) 

   

弟子たちはもはや訳が分からなくなり、イエス様に聞くことすら怖くなってしまったのです。

   

   
さてそんな弟子たちにイエス様は言われました。

しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。

わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。

わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。

その方が来れば、罪について、義について、また裁きについて、世の誤りを明らかにする。

罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、また、裁きについてとは、この世
の支配者が断罪されることである。(7-11)

  

  
イエス様が去るということは、そこにいた弟子たちにとっては悲しみで溢れていました。

しかし後のことを考えるとそれは恵みなのです。

それは弁護者である聖霊を私たちの内に送ってくださるからです。

それはイエス様が十字架の死と復活、そして天に上げられないと送られて来ないのです。

    

  
使徒言行録2章にはそれが実際に起こったことが書かれています。

ペンテコステの出来事です。

イエス様が去られた後、弟子たちが集まって祈っていると、突然激しい風が拭いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いたのです。

そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまったのです。

すると一同が聖霊に満たされて、聖霊が導くままにいろいろな国の言葉の異言で語りだしたのです。

それ以降、弟子たちの行動が全く変わりました。

その時にペトロがそこで驚きあたふたした群衆に福音を語ったところ、なんと3000人もの人たちがイエス様を受け入れ、救われたのです。

これこそがイエス様が言われた弁護者なる聖霊の働きなのです。

  

  
イエス様は聖霊の性質について語っています。

聖霊は人々に罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにします。

つまり聖霊はまずその人の内にある罪、つまり天の父なる神様を捨てて自己中心の歩みをしていること、そしてイエス様の十字架を受け入れていない自分の罪を示されます。

そして「わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること」、つまりイエス様が私たちのために十字架にかかられ、三日目に復活をされ、そして天にあげられたこの義を信じ受け入れるように導かれます。

そして裁きについて、「この世の支配者が断罪されること」、つまりイエス様の十字架と復活によって、この世の支配者であるサタンが敗北したことを示される、これが聖霊の働きです。

つまり人が救われるのは、人の説得でも努力でもなく、聖霊によるのです。

私たちが福音を語る時、聖霊がこのように罪について、義について、裁きについてを示され、心開き、福音を受け入れるように導かれるのです。

この聖霊が私たちの内にいるのです。

  

  
今日、イエス様を信じた私たちの内にはイエス様がおられます。

そして父なる神様もおられます。

そして聖霊もおられ、聖霊が今も私たちの内で罪、義、裁きを語り、キリストへキリストへと導かれているのです。

このように私たちクリスチャンはただの存在ではないのです。

父、子、聖霊なる神が私たちの内に住んでおられるのです。

今日、このお方に心開きませんか。

聖霊の語られる御声に耳を開きませんか?

今も聖霊は私たちに語っておられます。

祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。。

 
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