主の御前で今。。。
こんにちは~![]()
今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう![]()
今日の聖書箇所はローマの信徒への手紙2章17-29節です![]()
ところで、あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、その御心を知り、律法によって教えられて何をなすべきかをわきまえています。
また、律法の中に、知識と真理が具体的に示されていると考え、盲人の案内者、闇の中にいる者の光、無知な者の導き手、未熟な者の教師であると自負しています。
それならば、あなたは他人には教えながら、自分には教えないのですか。
偶像を忌み嫌いながら、神殿を荒らすのですか。
あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている。
「あなたたちのせいで、神の名は異邦人の中で汚されている」と書いてあるとおりです。あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです。
だから、割礼を受けていない者が、律法の要求を実行すれば、割礼を受けていなくても、受けた者とみなされるのではないですか。
そして、体に割礼を受けていなくても律法を守る者があなたを裁くでしょう。
あなたは律法の文字を章融資、割礼を受けていながら、律法を破っているのですから。
外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。
内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく、“霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。
その誉れは人からではなく、神から来るのです。
今日は少し長いですが、とても大切な内容なので、ご一緒に学ぶこととしましょう。
前回、ユダヤ人と異邦人関係なく神様の裁きがあるということについて学びました。
今回は、ではユダヤ人はこの神様の裁きをどうして受けるのかという内容です。
彼らは律法を持っており、律法に対して非常に厳格です。
その彼らがどうして神様の裁きを受けることになるのでしょう。
そのことを通して私たちが神様の前にどうであるのかということをご一緒に点検しましょう。
ところで、あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、その御心を知り、律法によって教えられて何をなすべきかをわきまえています。
また、律法の中に、知識と真理が具体的に示されていると考え、盲人の案内者、闇の中にいる者の光、無知な者の導き手、未熟な者の教師であると自負しています。(17-20)
ユダヤ人の最大の問題点、それは彼らが律法を知っている、持っているということの上に安住していたところです。
彼らは自分は神様の選民、つまり神様から特別に選ばれた者だというプライド、そして律法信仰となり、いかに律法を守っているかと大げさにパフォーマンスすることすらあります。
自分たちこそ神様の民である、だから自分は人生の暗闇の中で苦しんでいる人、物理的にも霊的にも目の見えない人の道先案内人、そして民を義へと導く教師であると自負していました。
彼らは自分たちは特別であり、愚かな民を導くためと厳しく律法を守るように命じました。
しかもその律法により具体的に守るために「口伝律法」と言って付け加えているのです。
彼らはこれらの律法を守るよう、民に対して厳格に指導しました。
しかし問題はそれが信仰となってしまい、そこに安住してしまっていたのです。
そこにパウロはメスを入れました。
それならば、あなたは他人には教えながら、自分には教えないのですか。
「盗むな」と言いながら、姦淫を行うのですか。
偶像を忌み嫌いながら、神殿を荒らすのですか。
あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている。
「あなたたちのせいで、神の名は異邦人の中で汚されている」と書いてあるとおりです。
あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです。
だから、割礼を受けていない者が、律法の要求を実行すれば、割礼を受けていなくても、受けた者と見なされるのではないですか。
そして、体に割礼を受けていなくても律法を守る者が、あなたを裁くでしょう。
あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですから。
外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。
内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であるであり、文字ではなく“霊”によって心に施さ
れた割礼こそ割礼なんどえす。
その誉れは人からではなく、神から来るのです。(21-29)
彼らは他人に対して厳しく戒めていますが、自分に対してはそうではなかったのです。
確かに物質的な盗みはしなかいでしょう。
しかし献げ物に対して惜しんだり、情欲の目で女性を見たり、神様以上に律法を大切にしたり、それらは全て神殿を荒らす行為です。
彼らの霊的な盲目がこれらのことを気づかなくさせているのです。
割礼もそうです。
いくら体に傷をつけて割礼をしても、主を愛し、主に従い、神の国と神の義を第一にしていないのでしたら、意味はありません。
さて、私たちはどうでしょう。
彼らのことを人事と見ることはできません。
何故なら、私たちも同じ過ちを犯してしまう可能性があるからです。
聖書を学ぶこと、それ自体は本当に素晴らしいです。
しかし聖書の知識は深くなりますが、もし毎日の歩みの中で主との関係が薄いのでしたら、それは違いますよね。
或いはもし聖書理解が深いことがプライドとなっているのでしたら、それは彼らと同じこととなります。
また、聖書を勝手に解釈し、そのみことばに人を嵌めようとしたり、世界的に有名な牧師が語った言葉を鵜呑みにし、聖書と同じ位置に置き、「油注がれた○○ 先生がそう言っているから」としてしまうこともあります。
そしてそれを人に押し付けたり、弱いクリスチャンを裁く材料にしてしまうこともあります。
本人は愛を込めてその人を成熟したクリスチャンにしたいという思いを込めてですが。。。
私たちは本当に注意をする必要があります。
今、主はあなたを待っておられます。
あなたがどれだけ聖書知識があるかは関係ありません。
デボーションをなかなか続けられなくて悩んでおられるかもしれません。
救われたばかりなので、「私なんかまだまだ」と思っておられるかもしれません。
しかしそれらは全く関係ありません。
あなたがイエス様を愛しているなら、イエス様と一つになり、愛の関係へと導いていただきたいと願っているなら、それだけでいいのです。
主の御手の中に飛び込んでください。
すると不思議と聖書のみことばを開きたくなります。
聖書はイエス様からの愛のラブレターなのですから。
関係が深まれば深まるほど、デボーションも苦ではなくなります。
そして、みことばに飢え渇き、主との愛に溢れた甘い時を持つようになります。
まずは主の暖かい愛に溢れた懐に飛び込むことです。
あなたが主の懐に飛び込む時、主はあなたを両手で優しく包み込んで、その傷ついた
御手であなたの涙を拭ってくださいます。
祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。
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コメント
とても、戒められるおはなしです。
日々の生活の中で実践されてこそ、御言葉は生きたものとなりますね。
あなたをとおして、主はお語りくださっています。
御心をお示しくださる主に感謝します。
投稿: まりりん | 2009年7月 2日 (木) 12時30分
まりりんさん、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。こころから感謝します。
そうですね、日常生活の中で、主のみことばを通して状況を見、主のみことばに従うことですね。
祝福をお祈りします。
投稿: みのみの | 2009年7月 5日 (日) 09時16分