罪の奴隷か、神の奴隷か
こんにちは~![]()
今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょう![]()
今日の聖書箇所はローマの信徒への手紙6章15-19節です![]()
では、どうなのか。
わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいるのだから、罪を犯しよいということでしょうか。
決してそうではない。
知らないのですか。
あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。
つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。
しかし、神に感謝します。
あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました。
あなたがたの肉の弱さを考慮して、わかりやすく説明しているのです。
かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。
イエス様が十字架で死なれた時、罪に塗れ、罪の奴隷状態であった私たちも、イエス様の内にいて、イエス様と共に死んでしまいました。
ですから今、完全に罪の支配から解放され、恵みの下にいるのです。
今日は、その恵みの中にいる私たちがどのような歩みをするべきなのかをご一緒にみことばを通して学ぶこととします。
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では、どうなるのか。
わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいるのだから、罪を犯してよいということでしょうか。
決してそうではない。
知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。
つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。(15-16)
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古い、罪に塗れた私たちはイエス様と共に十字架で死に、罪の奴隷状態に終止符を打ち、今、恵みの中に入れられています。
では、恵みの中にいるので罪を犯してもよいのでしょうか?
パウロはここで質問をしています。
「罪を犯しても、どうせイエス様の十字架で赦されているから大丈夫、気にしない、気にしない」と平気で罪を犯し、悔い改めるのでもなく、気にせず、罪の中にい続けるということなのかと。
パウロはそれに対して激しく「決してそうではない!」と言っています。
私たちが平気で罪を犯している間は、それは罪の奴隷なのです。
ヨハネによる福音書8章34節にこのように書かれています。
イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。』
私たちは罪の奴隷となるか、義の奴隷となるかどちらかなのです。
イエス様と共に十字架で古い罪そのものであった私たちは死に、リセットされました。
その後、再度罪に仕えて罪の奴隷となるか、神様に従順に仕える奴隷となるか、どちらかを選ばなければいけないのです。
私たちは全く自由にされました。
その自由を持って、神様に従うか、罪の世界に再び足を入れるか、それは私たちの選択にかかっているのです。
私たちは自由なのです。
パウロは「あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる」と言っています。
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しかし、神に感謝します。
あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました。(17-18)
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これが私たちの実態です。
今、罪の奴隷状態から完全に解放されました。
問題は私たちが今後どのような歩みをするべきかなのです。
神様の奴隷として従うか、故意に罪を選択し、「どうせ赦されているのだから」と平気で罪の世界に漬かり続けるかです。
しかし、その行き着く先は死です。
私たちの選択がとても大切なのです。
パウロはローマのクリスチャンたちに対して、「伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになった」と言っています。
「伝えられた教えの規範」とは何でしょうか。
それは聖書のみことばです。
みことばを味わい、みことばに聴き従うことが罪の支配に再び足を踏み入れない秘訣なのです。
数週間前、6章のテーマは「知る」ということだということをお話ししました。
イエス様の十字架を知り、自分のためであり、そのイエス様と共に十字架で死んだということを認めた存在が私たちクリスチャンです。
しかしここで終わりではありません。
聖書のみことばを味わえば味わう程、まだまだイエス様について知らないということに気づきます。
そしてみことばを主体的に味わい、みことばを食すのです。
そうやってみことばを通してイエス様について知れば知るほど、もはや罪を犯したいとか、罪の世界の虚しい物に対して興味が薄れます。
逆に主を悲しませたくないという思いが強くなり、自然と罪から離れていくのです。
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あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。
かつて自分の五体を汚れと不法として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。(19)
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パウロはここで「今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい」と言っています。
しかしそれは努力や頑張りによって達成するのではないのです。
ここはとても大切なことです。
私たちが必要なのは、がんばって罪から離れることでも、努力をすることでも、「私は聖なる生活を送ります!」と告白して、それに合わせようと決意することでもありません。
自分の力でどんなに頑張っても、それは虚しい結果が待っています。
誘惑はそれだけ強いです。
では私たちが聖なる生活を送るにはどうしたらよいのでしょう。
それは今私たちはイエス様と一つに結ばれているということを知ることです。
そして私たちの内にいますイエス様に信頼することです。
私たちがイエス様と密な愛の交流を持てば持つほど、私たちを通して主ご自身の聖さが現されます。
私の聖さではありません。イエス様の聖さです。
今私たちは自分の力や努力で罪から離れて聖なる生活を送ろうとする思いを手放ましょう。
そしてイエス様の中に入り込み、イエス様に寄りかかり、イエス様の愛の中で、あのマリアのようにイエス様の愛に浸り、みことばを通してイエス様を味わうことです。
その愛の関係が深くなればなるほど、私たちを通してイエス様の命が流れ出て、イエス様の聖さが私たちを通して現されます。
あなたとイエス様との関係はどうですか?
主は満面の笑みであなたを迎えようとされています。
さあ、今心を開き、イエス様の中に飛び込みませんか?
主はあなたを優しく受けとめてくださいます。
祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。
ではでは![]()
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コメント
毎日聖書を読んで、心の中にイエス様を浮かべていれば、本当に罪を犯す気がしなくなります。イエス様が悲しまれるのが嫌ですから、これはイエス様の力ですね!
投稿: アモツ | 2009年12月10日 (木) 18時54分
アモツさん、こんにちは。
そうですよね、イエス様の力ですね。
更にアモツさんの内にイエス様の恵みが浸透されて、イエス様の愛で満たされた歩みをされるよう、お祈りしますね。
投稿: みのみの | 2009年12月12日 (土) 18時46分