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2010年1月16日 (土)

私たちと律法の関係 その1

こんにちは~happy01

今日もスィーツな聖書のみことばをご一緒に味わい楽しみましょうheart04

今日の聖書箇所はローマの信徒への手紙7章2-4節ですshine

結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結びつけていた律法から解放されるのです。

従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。

ところで、兄弟達、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。

それは、あなたがたがが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようにようになるためなのです。

前回も書きましたが、ローマの信徒への手紙6章で、神様がどのように私たちを罪から解放されたかを学びました。

今回、学ぶローマの信徒への手紙7章においては、神様がどのようにして私たちを律法から解放されるかを学びます。

そして、このローマの信徒への手紙7章は非常に重要な箇所ですが、難しい部分もありますので、時間をかけ、じっくりと学ぶこととします。

さて、ローマの信徒への手紙6章においては、罪からの解放の道は、主人と奴隷示されています。

それに対して7章において、律法からの解放の道を、「二人の夫とと一人の妻」の関係において示されているのです。

さあ、みことばを見ていきましょう。

7章2-3節において、一人の妻と二人の夫について描かれています。

この女性、結婚候補は二人いたのですが、一人しか選ぶことはできません。

そして不幸にして彼女、間違った選択をしてしまったので、とても悩んでいます。

さて、この女性と結婚した男性、さぞ悪い夫かと思えば、そんなことは決してないのです。

決して暴力を振るったり、不倫をしたりするような男ではありません。

逆に非常にまじめで、俗にいう「堅物」です。

とても厳格な人で、小さい、細かい点に至るまで正確さを要求するのです。

しかも請求はしますが、決して手助けをするとか、そういうことはしません。

非常に厳格な夫で、厳しい要求を妻に求めるのです。

では妻はどうなのでしょう?

妻は真逆な性格で、すべてがあいまいであり、でたらめです。

彼女はいわゆる怠け者です。

ですから当然夫婦の性格が真逆でうまくいきません。

この夫、決して欠点がなく、パーフェクトな夫です。

ですから悪いところは決してありません。

彼は夫として、妻に物事を要求する権限を持っているからです。

しかも、その要求はすべて理に適っていて、ことごとく合法的なものばかりです。

ですから彼自身にも、彼の要求にも何一つ間違ったところがなく、問題はその要求どおりにやっていけない妻の方にあるのです。

彼女は自分がたびたび失敗をすることを十分に理解しているので、彼女は夫と生活している限り、自分のなすこと語ることすべてが間違っているように感じてしまいます。

ですから、彼女は非常に悩んでいるのです。

さて、最初に二人の結婚候補ということを話しましたが、妻が選ばなかった男性はどういう人なのでしょうか。

彼は非常に厳格であり、正しい人です。

それは彼女の夫以上です。

しかし彼は愛が溢れていて、失敗する彼女をいつもケアし、助けて、慰め、励ましてくれます。

彼の存在自体が愛なのです。

ですから彼女はこの男性と結婚をしたいと心から望みます。

しかし、彼女は「律法によって彼に繋がっている」ので、彼が死ななければ、正当に他の人と結婚することができません。

これがローマの信徒への手紙7章2-3節が語っていることです。

パウロはこのいびつな夫婦関係を通して、私たちと律法の関係を説明しているのです。

この厳格な堅物の夫、これこそが律法です。

そしてその妻こそが罪ある人間の姿です。

そしてもう一人の人、これこそがイエス様なのです。

この夫が正しいように律法はすべて正しいし、義です。

なぜなら、神様が与えたものだからです。

律法の要求も正しいです。

ですから律法は悪くありません。

では何が悪いのでしょう?

そう、妻の側、つまり私たち罪ある人間です。

そして律法はなくなりません。

「すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の一点一画も消え去ることはない」(マタイ5:18)と書いてあります。

ですから、永遠に律法は私たちに要求し続けます。

ではどうすればいいのでしょう?

私たちは永遠に律法の縄目の中で生きていかなければならないのでしょうか?

実は解決策があるのです。

それは私たちが死ぬことです。

律法がなくならないのなら、私たちが死ねば、律法から解放されます。

律法は墓の向こうまで要求してこないですから。

ではどうやって死ぬのでしょう?

実はもう私たちクリスチャンは死んでいるのです。

いつでしょうか?

イエス様が十字架にかかられた時です。

律法の支配下にあった私たちはすべて、イエス様の十字架の内にいました。

そしてイエス様が十字架に架かられたとき、一緒に私たちも十字架にかかり、イエス様と
共に死んだのです。

ですからもう律法の支配から完全に断ち切られました。

これが4節でパウロが言っていることなのです。

今日、是非覚えていてください。

私たちは罪の奴隷から自由にされました。

そして、律法の支配からも自由にされたのです。

律法の支配下で過酷な要求を受けていた古い私たちはイエス様と共に既に死んでいるのです。

そしてイエス様が3日目によみがえったとき、私たちもイエス様の内にいて、共によみがえりました。

そう、私たちは全く新しくされた存在なのです。

そして自由なのです。

このことを信じますか?

実感は無いかもしれません。

しかし感覚に頼らず、聖書のみことばに立つことです。

そのとき、御霊が私たちの内でイエス様の自由で満たしてくださいます。

祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。。

ではではconfidentpaper

※次回もローマの信徒への手紙7章2-4節の解説をお送りします。お楽しみに。

  
  

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コメント

非常に解りやすい例えですね。律法を守ることは、私には不可能です。殺してはならない。一つにしても、兄弟を憎む者は人殺しだというイエス様の言葉に従えば出来ないことは一目瞭然です。赦したとしても、そうなるまでに憎む時がどうしてもありますもの。イエス様の十字架の救いにすがるしかない自分に気が付きます。

投稿: アモツ | 2010年1月17日 (日) 10時26分

アモツさん、こんにちは。
そうなんですよね、律法を守ることは私たちには不可能なんです。
でもそんな律法から解放されるのはイエス様の十字架。この十字架に頼りきってお互い歩んでいきましょうね。

投稿: みのみの | 2010年1月24日 (日) 00時18分

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